シネマの時間 -ベニスに死す-
L'hommage ルキノ・ヴィスコンティ
今年のように閉塞感があり、息苦しく、気怠い夏を過ごしていると、あのベネツィアの夏の物語を想い浮かばせられる。
1906年にミラノの貴族に生まれたヴィスコンティは、往々にして過ぎ去った貴族世界を、明確な視線でエレガントに表現しています。彼が直接知っていた時代と社会階級、つまり戦争と革命によって崩壊の瀬戸際にあり、彼が生まれた瀕死の世界のヨーロッパそのものです。
1936年、ヴィスコンティは30歳でパリに移り、第二次世界大戦前のフランスを特徴づける知的、文化的、政治的トレンドに没頭しました。世界的に有名なファッションデザイナーのココ・シャネルとの友情を通して、フランスの偉大な映画監督ジャン・ルノワールと出逢い、そしてこの引き合わせは、ヴィスコンティが芸術家として映画への情熱を呼び起こす事となりました。
私はヴィスコンティの映画の魅力を、妖艶な美貌を備えた俳優を描く美意識にあると思います。
ヴィスコンティ自身も彼の父親と同じく、彼のライフスタイルでは公然と両性愛者であった事で、その脚本、キャスティング、演出と見事にプライベートの性的嗜好が反映されている点です。作品は、しばしば同性愛の要素を備えいて、それは彼の魅力的な主演俳優の選択に現れています。
「ベニスに死す」のビョルン・アンドレセン、「若者のすべて」のアラン・ドロン、「ルードウィヒ」のヘルムート・バーガー、性を超えて「熊座の淡き星影」のクラウディア・カルディナーレなど、俳優たちの魅力を存分に引き出した素晴らしい作品ばかりです。
創造を超えた美の存在
本編は作家トーマス・マンの同名小説に基づき、映画化した1971年の作品です。この晩年の傑作は、芸術の本質、美しさの魅力、そして死の不可避についての瞑想と言っていいでしょう。
悲惨なコンサートを繰り広げる気難しい作曲家が、心身を癒し回復させる為ヴェネツィアを訪れます。滞在先のベル・エポックの贅沢に包まれたホテルで彼は、タージオ(ビョルン・アンドレセン)という名のポーランドの少年の完璧で純粋な美しさの輝きの衝動に襲われ、疫病が解き放たれたとの噂が街中に広まったにもかかわらず、作曲家の美への探求は、最初、少年への関心は純粋に美であった筈が、やがて恋に堕ち、歪んだ形で少年への執着に発展しました。
彼の完璧な美を求める奇妙な欲望とグスタフ・マーラーの崇高な音楽に対する肉体の腐敗の物語を描いた〝ベニスに死す〟は、寓意的に共鳴してい流だけでなく、官能的に豊かであると同時に、最も高貴な文学的映画の一つに挙げられると思います。
芸術家の苦悩は、究極美への想いが、その理想に到達することなく、老いと創造の限界で疲弊してゆく。対称的に、持って生まれた完璧で純粋な美を持つキラキラした少年は、絶対的美の才能を神から与えられた様に写ります。
作曲家の少年へのプラトニックな美の理想は、ある晩ホテルのラウンジで、タージオが辿々しく弾くピアノの旋律によって変貌します。
タージオは、ベートーヴェンが愛した女性の為に作曲した「エリーゼのために」の旋律を永遠に繰り返します。旋律は欲情のセレナーデとなって、老いた芸術家の心は自身への創造の美の探求から、絶対的な完璧美の天命を与えられた少年への美の欲望に、閉ざし解放してゆくのでした。
作曲家は何日もタージオを砂浜で見守ります。その砂浜の光景は、エドゥワール・マネの「ブローニュ・スル・メールの浜辺」を感じさせる印象派の絵画の様にスクリーンに描かれています。
水面にエレガントに浮かぶ、美しいヴェネツィアの街は疫病に侵され都市に感染し、当局は観光客から危険を隠そうとしますが、作曲家はすぐに街の致命的な状況についての事実を知ります。
しかし、彼は少年から離れることに耐えられず、ヴェネツィアに留まります。
芸術家の尊厳
彼の少年への執着は次第に大胆になり、同時に徐々に病に侵されて、益々身体は衰弱していき、少年の永遠の様な若さと美しさとに相反してゆきます。
理容室では、そんな彼を若返らそうと、理容師が髪を黒く染め、髭を整え、白塗りの化粧を施してくれました。
若返ったような気持ちで、少年の後を追い続ける作曲家。しかし、熱帯性の季節風に覆われた街に、噴き出るような汗と激しい動悸で疲れ果て座り込んでしまいます。滑稽な自分の姿に笑うしかありませんでした。
少年の家族がヴェネツィアを離れる日です。タージオは最後のビーチを楽しんでいます。
最後に一目、タージオの姿をこの目に焼き付けたい想いで作曲家は、白いスーツ姿に帽子をかぶり、白塗りの化粧をほどこし、よろよろと浜辺に姿を現わし、その視線は美を追い求めます。
少年は些細なことで友人と喧嘩になり、殴られ、砂まみれに浜辺に崩れ落ちます。作曲家にとって絶対美であった少年を、暴力によって破壊させてはならないと、彼は必死に失ってはならない絶対美にもがきますが、もう既に彼の芸術家としての能力と身体は限界でした。
夏の終わりを告げる黄金色の太陽の光でキラキラ輝く海へ、立ち上がったタージオはゆっくり入っていきます。
腰に手をあて、片方の手を水平に伸ばし、逆光の中で芸術家の眼に映るその神々しい姿に、永遠の完璧な美を確認した芸術家は、その美を求め手を伸ばす。
年老いた芸術家の額から流れる薄汚い汗は、白髪染めが流れ落ち黒くなっています。ボロボロに剥がれ落ちた白塗りの化粧もまるで道化師の様です。
圧倒的な憂鬱と衰弱する壮大さの感覚は、最後まで絶対的な美に永遠に届かないまま疫病に侵され一人孤独に砂浜で死を迎えるのであった。
芸術家とは無情なものであり、また才能は神々しいものだ。
そう感じさせる夏の終わりの物語です。
貴族とマルクス主義者であったルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti 1906-1976)は、間違いなくヨーロッパで最も偉大な映画監督の一人でした。映画制作者としてキャリアは、1930年代にフランスのジャン・ルノワールと一緒に働くためにファシストイタリアの息苦しい文化を脱出し、フランスに移り住んだ時に始まりました。40代で母国に戻り、彼はネオリアリズム運動の創始者の一人になります。
バート・ランカスター、クラウディア・カルディナーレ、アラン・ドロンと共に、最初の国際的な映画を創作しました。「ベニスに死す(1971)」では、さらに成功を収めました。
同様の同性愛のテーマは、政治より芸術を好むバイエルン王の伝記である「ルートヴィヒ(1973)」でも示されています。
しばしば描かれる壮大なスケールの物語は、彼の深い感情に触発され、退廃的で豪華な美しさはヴィスコンティの美学の特徴です。