#映画館の思い出 アメリカで見た『ロッキー・ホラー・ショー』の衝撃
1980年代、大学生だった私は分厚い『地球の歩き』を頼りに友人と2人でアメリカを旅しました。
司馬遼太郎氏の『竜馬がゆく』に感銘を受けて、勝麟太郎が咸臨丸で渡った米国を見ておきたいと思ったからです。
少しは英語が話せないと人々との交流もできないと考えて、まずはサンフランシスコにあるコグスウェルカレッジという語学学校に1か月通うことに。
レジデンス(下宿みたいなところ)に滞在して、平日は学校、土日は街を散策したりクラスメイトと観光したりという感じで過しました。
ときどき、タッズステーキというステーキハウスで食事したものです。トレーを持って並び、グリルで焼かれたステーキを注文して皿にのっけてもらうシステムで、安くて美味しかったのを覚えています。
ダウンタウンの裏通りにあった"名画座"
ある日、現地の広告でミュージカル・ホラー映画『ロッキー・ホラー・ショー』を上映している映画館を見つけたのです。
大きな映画館ではなく、旧作映画を主に上映する日本でいうところの"名画座"的な感じで、ダウンタウンの裏通り辺りにあるためちょっと行くのに勇気がいりそう。
しかし、ロック好きな私は『ロッキー・ホラー・ショー』について詳しくはないものの、ロックミュージカルの名作ということを聞き知っていたため、「これは行かねば」と渋る友人を説得しました。
夜は出歩かないようにしていたので、向かったのは土曜か日曜の昼下がりだったと思います。
ロック・ミュージカル『ロッキー・ホラー・ショー』が映画化され1975年に公開されたもので、キャストに俳優陣が並ぶ中、ロックシンガーのミート・ローフが出演して話題になったものです。
ちなみに同時上映はラモーンズが出演した、ロックンロール・コメディ映画『ロックンロール・ハイスクール』(1979年公開)でした。
ただ、ここでは映画そのものについてあまり触れないので期待されている方はご了承ください。なにしろ、映画の内容があまり入ってこないほど衝撃的な出来事があったのです。
This is so American!
恋人同士のブラッドとジャネットが嵐の中、車で道に迷い山中の古城を訪ねたところ奇怪なパーティーが開かれていた。城主はバイセクシュアルで、ジャネットとブラッド、それぞれと関係を持ってしまう。
ホラーというほど怖くはないけど、セクシーなシーンもたくさんあって大人向けな作品という感じだな…。
と思いきや、私たちから数列離れた前方の座席に、小学校高学年ぐらいの男女が10人以上観劇しているではないですか。
すでに何回も見ているようで、映画のヤマ場を心得ており、手に持ったポップコーンを紙テープ代わりにばらまいては「フー」とか「イエー」とか歓声を上げるのです。
今でも覚えているのは(配役は定かではありませんが)、女性のベッドルームに男性がやって来るシーン。
女性が「come in」と声をかけたところ、子どもたちが「she said "come in”! no “come on”!」と叫び「ギャハハハ」と大喜びしていました。これって下ネタですよね。
私はそうした子どもたちによる映画の楽しみ方を目の当たりにして「これがアメリカか~!」とカルチャーショックを受けました。
これが「#映画館の思い出」です。
番外編・もうひとつの「これぞアメリカ」
サンフランシスコに滞在後、グレイハウンドバスに乗ってニューヨークへ。
ブラジルホテル(という名前だったと思う)という安宿で友人の荷物が盗まれ、ホテルの管理人に話すと「よくあることだ」と冷静に返されました。
一応、最寄りの警察署に行ったところアメリカ映画に出てくるような屈強な黒人の警察官が対応。
バッグに入っていたものは?と聞かれて英語で「小さなラジオカセットレコーダー」と答えたとたん、「Oh! It's SONY!」「hahaha」と大ウケ。
当時、日本と言えば「ソニー」の製品が世界を席巻していたからです。
「こちとら深刻に困っているのに、これがアメリカか」と肩を落としました。
予定より早く帰国することになり、日本に戻る飛行機の中でニュースに耳を傾けていると「アメリカでエイズという原因不明の奇病が発見されて問題になっています」と聞いてちょっと不安になりました。そんな時代のエピソードです。
思い出したら書きたいことがいっぱいあって、とりとめのない文章になってしまいました。
最後までお読みいただきありがとうございました。