触れる

音楽と”触れる”こと

数年前に、真っ暗闇のなかを歩いていく「ダイヤログ・イン・ザ・ダーク」の体験に行ったことがあります。
純度100%の暗闇のなかを、その道のプロ(つまり視覚に頼らない生活をしている人)に誘導してもらいながら、恐る恐る足を踏み出しました。
それは視覚を奪われた欠けた世の中だったでしょうか?
とんでもない!
そこから広がる、なんともファンタジックな世界!
聴覚と共に、触覚がうんと働きはじめる・・
その時、普段見ることに隠れて主体として表立って感じることのすくない
「触れる」という感覚のバリエーションの豊かさに驚きました。

遡ること15年ほど前、愛媛の大学で芸術療法の講座が開かれたことがあります。
大学などで専門的に研究されていた先生方にそれぞれ領域を2日間、ホールに缶詰で学ぶ、というもの。
絵画・詩歌・園芸・音楽・ダンス・ドラマ・箱庭
とりあえず縦断していく中で、違う表現方法でありながら、共有している、なにか、その時、なにか確かに、同じものを扱っている、という手応えが残ったのがずっと心に引っかかっていたのでした。

今になって思えば、それはまずは「感覚」に対する信頼を取り戻すことではなかったかなと思います。
感覚は、その人が直接に感じるもので、ウチとソトをつないでいくものです。
そして、感覚は自分のところにありながら、変化していくし、豊かにも疎にもなっていきます。(疎であることにも深い意味があると思います。)

音楽、という世界の中に入り込んでいくときも、
この「感じる」ことからゆっくり自分を立ち上げていきながら音楽に近づいていく。
あの、触れることの豊かさは、音楽の世界にもあります。

それを体験するにはどうしたらいいだろう、と。
触れる、当たる、接する、離れる、

やっていると受講者さんの感覚が喜び始めるのが、見ていても楽しいです。

音楽に乗る、乗せる、ということのうんと手前で留まって
自分の体感から音楽を引き出してみるのです。

**写真は個人レッスンのときの受講者さんのもの。
この沢山の花の蕾が何万とついている季節、次々とそれがひらいていく季節の話などをしながら。
ピンク、きれい。






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愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!