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人と音楽のあいだを満たすものについて

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人たちのかけがえのないいとなみと連動する音楽のことを考えたい。 音楽学者ではないけれど、いえ、だからこそ見えてくる音楽があるはず。音のない音楽のことや、自然のなかの音楽のことなど…
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#街のおとや

絶叫グループレッスンが静かになった日

可愛すぎる音符の玉は、なぜか低学年の男の子が大好きなやつ。 これだけはとまらない・・・・ これまでのグループレッスン風景男の子二人のグループレッスンはいつも大騒ぎで、これまでの1年間子どもたちはふざけまわり、一時間のレッスンのあいだの実質20分ほどしか学習にならないような感じでした。 人の話は聞かないわ、突っつくわ、抱きつくわ、教室のものは勝手に持ち出すわ、譜面台は振り回すわ・・・ ふたりとも音楽は暴走気味。拍も拍子も共有もなく、とにかく喚いて楽しんでいる様子。 それでも、

つながっていない、がデフォルト

前の記事で 「つなげる」ことに心を砕きたいと自分は思っている、 と書いたけれどもそれは、 そもそもが 「つながっていない」からなんだ、 ということなんだけれども、そこを共有するのが難しいといつも思う。 ややこしいのが、 つながっている、ということが当然のこととされていたり、 或いは、つながっているかどうかなんて問題にもならなくて大股でその溝を渡っていくのが潤滑な人間関係ということになっていて、 でも、私は渡れないでいつも立ち止まっていた。 そして、つながっていないと

音楽的才能というけれど・・

音楽の才能とか、センスがあるない、ということが 音楽に向いているとか、向いていないとかの基準になるとは私は思えないのだけれど、わりと一般的な捉え方なのかもしれない。 才能がないから、向いていない。と。 才能っていうのは、 演奏に適した聴音能力や、身体能力、表現力、度胸、集中力・・・ 今、思いつくのがそんなところ。 でも、生まれつきそういうのが揃っていたとしても、 演奏がすごく立派でも、 それ故に、音楽がその人を素通りしていって かえってつかみにくいんだろうなあ、と感じる

音楽教室と自閉症の相性

半年ほど前から utena music field に通ってきている小学校1年生の男の子の様子が少しかわりはじめてきた。 坊の登場最初ご両親と一緒にやってきたその子は、部屋の中のものを引っ張ったり、叩き落としたり、水道の蛇口を思い切りひねってみたり、大声もだすし、しまいにはグランドピアノの弦が張ってある本体の中にものを突っ込もうとして思わず、私もそれはやめてくれ!と声をあらげたり、で、ご両親によろしくおねがいしますと言われましても、正直、やっていけるんだろうか、と思った。こ