マガジンのカバー画像

人と音楽のあいだを満たすものについて

88
人たちのかけがえのないいとなみと連動する音楽のことを考えたい。 音楽学者ではないけれど、いえ、だからこそ見えてくる音楽があるはず。音のない音楽のことや、自然のなかの音楽のことなど…
運営しているクリエイター

#ピアノ

道具を奏でる

紫陽花の剪定の時期なので 今朝、久しぶりの晴れた朝で、紫陽花の花を刈り込みをしていて、 剪定鋏に力を入れすぎていたことに気がついて、ハサミの重みに任せて細く少し早く描くように、力を入れずに、動きだけで紫陽花の茎に触れてみたら、す-っと空気をきるように紫陽花が切れました。 紫陽花は茎が空洞になっているから、実は本当に力なんかいらないんです。 でも、とっても切れないハサミだったし、「力で切る」ことを習慣にもしてきてしまっていたのだと思います。 す-っ この感じ。 ああ、こ

一つに集まる身体が奏でる

ここちよさの出会い ナイキのスニーカーがとにかく履きやすくて、履き倒しています。 そのスニーカーははじめておろした時から、自分の足の続きにあるみたいで心地よくて、どこまでもあるいていけそう。 体に馴染むってうれしい。 すいっと、足をつくの中に入れると、すっと私の足の空間のかたちがそのままに提供されて、両方履いて踏み込むと、もう吸い付くように包み込んでくれます。 それでいて、足指の根っこまで伸びてリラックスできて、かかとはホールド感。 そんな頼れる相棒なのですが、さすが

子どもから音楽は奪えない

どの口が・・・・数日前に、こうやってつぶやいた私ですが、 全くどの口が言うかな、とあとから冷や汗出ました。 私は、親としてはからきしだめなやつでした。 娘のピアノを教えていたとき、レッスンのときだけでなくて自分で練習してるときも指の上げ下ろしに文句つけていたし、 息子には、我が子ゆえにレッスンの時間は後回しで飛ばしがちになったうえに、せっかく練習していた曲を人に聞いてもらったときに無茶苦茶いちゃもんつけたりしました。多分、そういうときの私は鬼のような親だったと思います。

問いを深めることがレッスンの意味

初めの問いはその人にも分からない、がデフォルト教室のドアを開ける人はさまざまで、音楽に対して持つイメージや思いは、みんな違っています。そして、その憧れや、問いへの対象はまだ曖昧です。はっきりとこうしたい、と言っている人でも、私なりに解釈し、それをどのように実現していくか筋道をたて具体的に関わろうとしてみると、その「こうしたい」はその対象を掴み得ず、結局理想というのは、曖昧なもんです。それは、当然だし、仕方ないことです。だって、まだ未知なもの学びに来てるんだから、全部わかってた

楽器屋は楽器を売るんじゃない、と社長は言った。

一昨日、ピアノ工房に出入りしていた話を書いてから、そこに座ってニコニコしていた中年おやじの彼の姿が思い出されました。いつもサンスベリアの世話をしてた(たいして世話がいらないのがサンスベリアなはずなんだけど・・)社長さん、ヘブンリーヘブンという朝顔の種をまいて金網にきれいな青を咲かせていたその人。 離島の田舎から今の街に越してきた時に、たまたまピアノの運送を依頼した会社で、ついでに調律もお願いしました。そのころは調律は狂った音を揃えることくらいにしか考えていなかったと思います

学習障害児とピアノ

学習障害児はピアノにむかない?学習障害・・・という名前には大いに抵抗がありますが・・・、 私のhpのブログに「LDはピアノに向かない」という検索で引っかかってこられた方がいて、先生でしょうか、保護者の方でしょうか、どなたかは分からないのですが、これは私なりにこちらお応えしておきたいなと思います。 結論から言えば、ピアノというのはみんな簡単に習いに来られますが、実は大変難しい技術を要するもので、LD、AD HDでなくとも、本当にものにできる人は、なかなかいないというのが、ほんと

もしも将来音楽が荒廃していくとしたら1

音楽と人の社会の連動もしも将来、音楽というものが荒廃していくとしたら、そのときは、人間社会そのものが荒廃してってる、ということになってると思います。 そのくらい人間社会と運命をともにしているのが音楽で、そもそも人間がいなければ音楽を奏でる人もなく、音楽は人間の長い歴史の営みに寄り添って発展してもしてきました。音楽は人の内面を通して初めて世に生まれてくるのだし、だから、音楽の豊かさや深さはそのまま人の豊かさや深さでもあるのだと思います。 その音楽と人間社会のきってもきれな