かさぶたが取れた日
コロナになり、現在も味覚と嗅覚がゼロなので、何を食べても飲んでも面白くない状態が続いている。
それと同時に不思議なことも起こったのだ。
ずーっと心に引っかかっていた悲しい気持ちや、執着や気になっていたことが、全部全くどうでも良くなるという奇跡が起きた。
病気と共に流れて行ったのか、一定の期間を過ぎたからなのか、本当にそれは突然に、
そのことを考えることがなくなり、悲しんでいた思いがなくなり、自分にとっての悩みだったものがなくなってくれた。
みなさんもずっと引っかかっている嫌なことや、苦手なこと、人、なにかしら、それを見るといやなことを思い出す何かってあるのではないか。
それがなくなるってとても心が楽ちんだ。
ずっと悩みだった。
それさえなくなれば心が晴れるのに、と思いながら無くせずにいて、ネガティヴでしかなかったので早く無くしてしまいたかった。
あるとき突然に、そのことを考えなくなっている自分に気づいた。
気づいてからは、面白いことに、思い出すこともなくなり、かなしくなることもなくなり、要はどうでも良くなったのだ。
どうでも良くなると、本当にどうでも良くなるのだ。
悲しいことや辛かったことは必ず忘れる。
時がお薬。
それは前からわかっていた。
だけど悲しいものは悲しいと思う時期もある。
だけど大人になってわかったことは、
それらは必ず忘れるということだ。
ずっと悲しんでいたら、人は前に進めないし生きていけないから、神様はうまいこと作ってくれているのだ。と
二十代のころ、子供と二人取り残されて、悲しみ続けた後に思ったことだった。
その時その時で悲しみの内容は違ってくるけど、大抵のことは、前に進むために忘れるようにできている。
そして今周りにあるものに感謝だ。
今回、お誕生日もコロナも含め、たくさんの方からのメッセージやプレゼントをいただき、こんなにもたくさんの人に、気に留めていただいているありがたさも身に染みた。
たくさんの人が私を思い出し、想ってくれている。
それってすごいことだ。
それだけで充分幸せではないか。
今そばにあるものに感謝して生きていれば、大切なものだけが周りに残って行くのだと思う。
心の傷がかさぶたに変わり、ぽろっと取れた後は、また同じことにならないように気をつけて前に進めばいい。