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どーせ死ぬのになんで生きてんだろ

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って思いません?
わたしこれ結構ふとしたときに思うんですよねぇ


もちろん過去いろんな出来事があって
わたしにだって封印したい思い出もあるし。


でもそれとこれとは別っていうか。
なんていうか。


例えば、それが今のわたしを苦しめてて、
だからなんで生きてるのかと
疑問に思うわけではないんですね、


わたしは過去を振り返って
ものすごくつらくて生きてることを
深く悩むのではなくて


未来への不安で押しつぶされそうなとき

どうせ死ぬのになんでこんな苦しみながら生きてんだ

と、思うわけであります。


多くの人は今が苦しかったり
過去のしんどかったことを今おこってるかのように感じて全てを投げ出したくなるんじゃないかなぁーって。


わかるなぁ。その気持ちもとてもわかるんです。


今と過去って別々なのに
過去を思い出すと今がどうしようもない
闇に包まれる。


なんだこの感覚ってなりますよね。

過去の自分は他人だ


そう聞いたこともあります。
そう思えたらどんだけいいだろう。


過去の自分も自分で
未来に絶望する自分も自分なんです。


でも、一つ言えることは
過去の自分と今の自分は同じではないということ。

あの時をいつか許せる日のために
それだけはブレずに握りしめていたい気持ち。

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どーせ死ぬのに


これはきっと変わらない事実で
どうにもならないけど


もし生まれてこない世界だったとしたら


あの時の悔しさも
あの時の喜びも
今大切だと思える人にも
その全てに

出会えなかった。


これは嫌だと大きな声でいいたい。


これから出会いたい人もいるし
大人になってから人生が変わるような
とても大事な人にも出会えた。


この気持ちは失いたくないなぁ。

そう、この気持ちはきっと
『過去の後悔』でも『未来への不安』でもなく、



今のわたしの想い


であるということ。

心に住み着いた幼い自分が
きっと救ってほしかったことや
消さないでほしいと大人のわたしに
何かを伝えたがっている。


時々、今はそっとしておいて


と、蓋をしてしまうけど許してね。


過去の自分は他人だ。


それでも、過去の自分と一緒に二人三脚で
未来のための今を生きていく


ということなんだろうな、きっと。


タイトルの答えは
きっといつか後付けでも
意味は見出せる、、、、


と、思っている。


明日には変わってしまう気持ちを
しっかりしたためておこう。


月曜日って本当に憂鬱。
明日から定期テストの前日の夜くらい憂鬱。

でもそんな憂鬱な世界の始まりに
自分の思いを言葉にして並べてみて
案外わたし生きてるなぁー、
人間やってんなぁーって感じた。

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