Aさん、それでもなんとか生きるんだ
こんにちは、Aさんです。
トップページをご覧いただくと分かるかと思いますが、noteのタイトルを変更いたしました。
これからは「Aさんのなんとか生きるんだ日記」と名前を改め、日々なんとか生き抜いている様子をお届けしつつ、過去のデンジャラスでプリミティブでフェティッシュなエピソードも綴っていこうかと思います。(フェティッシュな要素はほぼないですが)
Aさんは今まで「がっ!しにたいっ!!」となった時、音楽を聴く余裕がある位の落ち込み具合の際は、ヤプーズの「NOT DEAD LUNA」という曲をエンドレスリピートする。だんだん感情が昂ってくると、戸川純さんのボーカルに合わせて一緒に絶叫。この程度の死にたい度合いの時は、だんだん元気になってくることがほとんどだ。そのノリでシャワーを浴び、最寄りのカラオケへ行き、一人カラオケを楽しみ、スッキリした気持ちで平穏な日常を取り戻すのである。
しかし問題は音楽を聴く余裕のない場合だ。ひたすら宙を見つめ「なんのために産まれたのか」と自問自答を繰り返す。ひたすら繰り返していくうちに、自問自答が愉快な『アンパンマンのマーチ』になり、少し心が落ち着いてくる。『アンパンマンのマーチ』を10回ほど口ずさんでいると、冒頭の「そうだ/うれしいんだ/生きるよろこび/たとえ/胸の傷がいたんでも」という部分の歌詞で思い切り奈落に落とされるのだ。胸の傷……傷……わてのトラウマ……あががががっ!!そこからはもう坂を転げ落ちるがごとく、Aさんのメンタルは崩壊していく。
Aさんは毎年8月半ばから一ヶ月ほど、自分が危険な行動をしないように注意深く暮らしている。過去記事の「メンヘラという言葉の響き」で軽く触れたが、Aさんは2019年の8月半ばに九死に一生を得る体験をした。平たく言うと自殺未遂して死にかけたのだ。あと一つの灯火でなんとか100歳まで生きなければならないので、映画『ファイナル・デスティネーション』並に色々な事象に気をつけて生活をしなければならない。
今回は2019年に死にかけた時(いや、自分で行動を起こしたのだが)のことを、頑張ってポップな語り口で綴っていきます。とはいえ、なかなかにヘヴィな内容なので、読む際はご注意ください!特にメンタル弱くて引っ張られやすい人!暗い内容など読みたくない人!性被害にあった描写も出てくるので注意です!あと、痛い描写もあるのでさらに注意!
散らばるデザインナイフ、浴室から漂うアロマな香り
2019年8月半ば。詳しい日付も覚えているが、Aさんのトラウマトリガーの一つなのでいつも忘れることを心がけている。
Aさんはその日、朝起きてカーテンを開けた瞬間から、「こりゃダメだ」となっていた。ここ一週間で起きた出来事を細かくひとつひとつ思い出し、「ああ、本当にこりゃダメだ」と途方に暮れていたのである。色々な原因はあるが、大きな原因は一つ。こりゃダメだ、と自殺未遂するくらいの出来事なので書きたくない内容だ。
それに加え、前日に露出魔に近距離で出くわして大変なショックを受けた。(出くわすというか、狙われたという方が正しい)それがきっかけとなり、幼少期からの変質者との遭遇や性被害、父親からの虐待などの記憶が、どんぶらこどんぶらこと流れてきた。いや、どんぶらこ、なんてのんびりとした速さではない。ダム放流くらいの勢いで、ダバダー!!とAさんの様々な記憶が流れ出てきたのである。緊急警報発令である。
それから、Aさんは部屋着のままコンビニへ行き、持てるだけのウィスキーを買った。三本しか持てなかったのだが。安酒では納得できなかったので、そこそこ高いのを購入した。最初こそ水で割っていたが、しばらくしてからはストレートでぐいぐいと呑んでいた。Twitter(現X)を開き、酩酊状態で遺書をしたため保存した。すぐに投稿したら、もしかして見ているかもしれない友人が心配するかもしれない。一応、そんな配慮ができる程度に脳みそは働いていた。
この時点では、まあなんか遺書なんて書いちゃった、感傷に浸ってるわ、くらいだった気がする。いや、そうでもないか、割と本気で「ありゃもうダメね〜」となっていた気もする。
解離性健忘を起こしていたので、こんな具合で記憶が曖昧である。
この後、浴室に移動。アロマキャンドルに火をつけ、ムーディーな音楽を流してロマンティックな空間にした。そこにウィスキーとグラス、デザインナイフと替え刃を持ち込み、ちびちびと酒を口に含んだ。ヘインズの白Tシャツにスキニーデニムで、お気に入りのうすはりのグラスを揺らしながら、コッパーゴールドに想いをくゆらせていた。なんてオシャレな表現をしてみたが、ただ単純に酔いすぎてグダグダしていただけだ。
これじゃあダメだ!と踏ん切りをつけるため、先ほどTwitterに保存した遺書を読み返す。くそお、こんな丁寧な言葉じゃダメだ!私はもっとやってやる!と憤怒し、今際の言葉を何度も書きなおした。満足したが、後から読み返すと酔っ払いがクダを巻いている下らない文章であった。
Aさんはこの後、気合いで自分の左腕に致命傷を入れた。おおよその人が知らないだろうが、人間の皮膚というものは生半可な力では切れない。こと、自分自身で行うにおいては、躊躇する気持ちもあるのでなおさら難しい。表皮から真皮まではすんなり行くが、その先に脂肪層が待っている。これが厄介なのだ!とにかく刃が通らない。刃先がやっと通っても、そのまま切り開くのに相当な力が必要だった。しかも痛い。めちゃくちゃ痛い。グデングデンに酔っていたから、麻痺していたはずだが、それでもはちゃめちゃに痛い。そして、デザインナイフの刃がすぐに切れなくなるため、切れ味が落ちたらすぐに新しい刃に替える必要があった。
もう何を書いているのか分からなくなってきたのだが、とにかく自死の選択肢として、腕を切るという行為はかなり難易度が高いということだ。
Aさんは途中から「死にたい」という気持ちよりも「ここまできたら何としてでも死んでやる!腕を切るだけでは足りぬ!開いて3枚に降ろしてやる!」というマインドになっていた。浴室の床に左腕を置き、右足で左手のひらを抑えつけ、右手でナイフをグググと食い込ませる。なんとも滑稽な格好だ。Aさんが彫刻家だったら、「自身へ罰を与える人」なんてタイトルをつけて、彫刻を制作していただろう。それくらい、気合いが必要な作業であった。
腕を切る描写が長くなりすぎてしまった。とりあえず、自分に致命傷を与えるのに成功したので、浴室にお湯を貯めて浸かった。死ねなかったら嫌なので、湯船の中でもダメ押しのようにナイフで腕を突いていた。腕を切っている最中もウィスキーを呑んでいたので、湯船の中ではもう眠くて眠くてしようがなくなっていた。眠りかける寸前、「あっ!Twitterに保存していた文章をツイートしなければ!」と思い出し、ポチリと操作を行う。その際にiPhoneを湯船に落とし、救出されるまで水没していたのに、なんと故障もせず普通に使えたからびっくりした。Aさんはこの自殺未遂騒動を起こして一番びっくりしたことは、iPhoneがここまで水没に耐性があったことだ。いえ、冗談なのですがね。でも、びっくりであった。
そこまでしたのになぜにAさんが助かったかというと、Twitterの投稿を見た友人たち(結構な人数)が警察や救急に連絡したからであった。AさんのTwitter、フォロワー数が4人しかいなかったのだが、通報してくれた友人たちはこっそり見ていたということだろうか。
また、小学生の頃からの親友が母の携帯番号を知っており、すぐに連絡してくれたため、オートロックや部屋の鍵の開錠など、本来なら時間を要する課題をすんなりクリアしてしまったのだ。
そんなこんなで救出されたAさん。家を知っていた友人も駆けつけてくれていた。
「どうして、どうして、どうしてなの」と泣く友人に、Aさんは「生きている意味より死ぬ理由の方が多いから」と混濁した意識の中で答えていたそうだ。
そう、Aさんは、というか死にたいという気持ちを押し殺している人たちはみな、生きている「意味」と死ぬ「理由」という吊り合わない二つを天秤にかけているのだ。いつだって生きている意味よりも、死ぬ理由の方が多いのだ。その二つを比べてもしようがないだろうに。生きている「理由」がないのだ。
しまった、シリアスになってしまった。もう少しコミカルにいこうじゃないか。
そんなこんなで救急搬送され、腕を丁寧に縫われた。縫われている際、お医者さんがたくさん集まっており、「お〜、さすが縫い方が綺麗だな!」と鑑賞されていたことをかすかに覚えている。
後から聞いたところによると、病院内で一番腕の良い先生を連れてきてくれたらしい。「すごく綺麗に切ってありますね、何で切りましたか?」と、母が聞かれていたらしい。Aさんが犯行に使用したデザインナイフの刃を差し出し、「あ、汚い刃じゃなくて、こんなに綺麗なのを取り替えて使ってたんですね、良かったです!」と言われたそうだ。腕を切って褒められることがあるのか。
後日、駆けつけた友人に話を聞いたところ、「リビングに入った瞬間、アロマの良い匂いがしたから、こいつTwitterでホラ吹いたなと思った」と言われた。笑ってツッコミでも入れるか、と浴室に入ったらデザインナイフの刃が無数に散らばり、湯船がキャーッ!と悲鳴をあげたくなるような色になっていたとのことであった。申し訳なさすぎる。
待ち構える医療保護入院、遁走するAさん
自殺未遂後、医療保護入院を主治医に強く薦められた。しかし、死にぞこなった絶望と、世の中への理不尽な怒りを抱えたAさんは「絶対に死んでやるんだからな!今度こそ失敗しないからな!!」と謎の使命感に駆られていた。
因みに通報してくれた友人たちから「死にたいという気持ちを尊重できなくてごめんね」とひどく謝られた。もちろんだが、友人たちに怒りなど全く持っていない。むしろ、ごめんなさい申し訳ないです本当にごめんなさい、とランニングジャンピング土下座をかましたいくらいの気持ちであった。Aさんの怒りは常に、自分自身かもっと大きなどうしようもない世の中の仕組みに向けられているのだ。
医師への必死の説明と説得で保護入院をまぬがれ、任意入院が決まったAさん。形成外科で抜糸後に入院しよう、という流れになっていた。
しかし、Aさん、抜糸したその日の夜、フェリーに乗って十数時間かけて他県へ遁走した。
Aさんはこの時、解離性健忘状態であった。そして解離性遁走に至ったのである。今でも、なぜこのような行動を起こしたか覚えていないし、理解できないのだが……。
途切れ途切れに思い出せるのは、クレジットカードやATMを使用したら足がつくからと結構な額の現金を降ろしており、逃走するならば飛行機では捕まるリスクが高いからフェリーだ!と考えていたことだ。指名手配犯のような思考である。
この後の流れを最大限簡潔に書いても、おそらく一万字を超えてしまうので、またいつかの機会に書こうと思う。
こんなに「絶対に死んでやる!!」と誓っていたAさんが5年の時を経て、こんなになぜ元気いっぱい(一般的な元気ではない)に生きられているか、ということです。
色々な理由があるので、「これ!」とは一概には言えないのですが、実家から遠く離れたこと、そして夫との出会いが大きいかなと考えています。
例えば夫が男性でなく女性で、友人として出会っていたとしても、Aさんの人生は同じくらい平和になっていたと思います。夫と結婚した事実よりも、夫という人間に出会えて色々な困難を共にしたという時間が、Aさんを生きることに前向きにさせたのだと確信しています。
結婚以外にそんなに密に人と困難を共にすることはないんじゃないか?と思う方もいるかもしれません。しかし、Aさんの夫は最大限に寄り添ってはくれますが、自分まで引っ張られそうな時は「俺、このままAさんのメンタル崩壊に付き合ってたらダメになるから、ちょっと仕事に没頭させて」とサーッと距離をおきます。そりゃあもうすごい逃げ足で、メンタルやばいAさんから自分の身を守るのです。最初は「そんな薄情なことある?!」と更にメンタル崩壊していましが、これが適切な(少なくとも私たちにとって)人との関わり方なのだ、と徐々に理解することができました。
人は何かに依存せずに生きることはできないです。依存してもいいのです。依存するのが悪いことだと言われがちですが、人間は何かに依存する生き物です。依存が悪いこと、危ういことだといわれる状況は、「依存している自分に気づいていない」場合です。そういう状況の時は依存先との関わり方を正した方が良いかと思いますが、自覚がある場合は何かに依存することが正常なのです。何にも依存せずに生きることは「孤立」であって、「自立」ではありません。
これは臨床心理士で作家でもある河合隼雄先生の言葉なのですが、体に染み付いた言葉なので、日頃から自分の言葉のように使わせて頂いています。
Aさんも夫に依存しています。その他、色々な人にも。物にも、です。ただ、昔と決定的に違うのは、自分が「依存している」ことに気づけていること。そして、「依存することはダメだ」とひたすら孤立に向かっていた自分を、正しい位置に戻せたことだと思います。
生きていくことが辛い人、たくさんいると思います。
Aさんは昔から「死にたいなんて生きたくても生きれない人に失礼だ!」と言う人を心から嫌っています。「死にたい」という人も「生きたくても生きられない人」ではないでしょうか。そう反論したくなります。
Aさんは世界中で迷子になっている「死にたい」の四文字に居場所を与えてあげたいです。その言葉を発することをためらうあなたに、言ったっていいんだよ、と伝えたいです。言ったっていいじゃないですか。そうやって、生きていくんです。死にたいって言いながら生きる人を、Aさんは絶対に否定したくないです。
長くなってしまいましたが、Aさんはとにかくなんとかこの先も、できれば100歳くらいまで長生きして、色々なことに挑戦したいです。
時々辛くなりながらも、なんか楽しく生きていければいいなあ、とこの記事を書きながら思えました。そんなふうに思えることがとても嬉しいです。
みなさん、台風とか地震とかなんだか大変ですが、美味しいもの食べたり楽しいことしたりしながら今日も一日やりきってやりましょ!
それではまた、次回の記事で!