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大人の思春期:身動きできない限界に到達

家族への後ろめたさ

手作りの料理は、唯一、子供と私をつなぎとめるもの。母としてのプライドだった。お弁当と食事作りだけは「自分の手で」。ストイックだったと思う。

管理職自体に慣れたころ、諦めたことは、家の掃除や片付けだけだったはずなのに、学校のお便りの提出忘れ、お便り自体の紛失、習い事のお月謝を滞納する…特に娘とのすれ違いは年々大きくなり、小さなサインを見落としたり、高学年に差し掛かり、学校や家庭でのトラブルが続くようになった。

仕事では、マネジメント業務の要領を得ず、自分(と家族)の時間を削ることでしか時間の捻出ができなくなり、自分自身のマネジメントがいつしか困難になっていた。明らかにキャパシティオーバーの状況。それにも関わらず、元来湧き出る好奇心が勝り、いろんなことに手をだす始末。

家の中が整っていなくも、出掛けたくなってしまう性分。友人、親戚、ママ友、側から見たらエネルギッシュだったと思う。結局のところ、24時間、365日、余白がないスケジュールメタボのような状況に陥っていた。

静かに泣いていた娘

グローバルチーム体制だったこともあり、時差の関係で夕方4時〜7時が打ち合わせのピークが続く生活。コロナ前は、片道60分の通勤もあり帰宅時間がどんどん遅くなる。帰宅すると娘は決まってパンを焼いて空腹を満たし、お菓子を口に頬張りテレビを見ている。
疲れた身体を感じることもなくキッチンに向かい「ご飯にしなきゃね、ごめんね。。」が口癖。
夕飯の時間はどんどん遅くなり、20時台ならまだ良い方。21時に差し掛かる日も。そんな時の私は決まって自己嫌悪。太りやすい時期に…寝る時間も遅くなって、成長期なのに、身長が伸びない、、、。理想とする生活とは程遠い家庭生活が続いていた。

「ほったらかし母さん」

これは、親族が集まる席で出てしまった娘の本音。微妙な空気が流れた。娘は、私と同じかそれ以上に、言葉にしてしまったことに胸を傷めていた。
そんな娘の様子がおかしくなってきたのが、高学年に入ってからだった。
出産の時、声ひとつあげずに静かにこの世に誕生し、兄に比べて手の掛からない赤ちゃんだった。泣いて主張することもなく、静かに状況を観察し母が優先することをじっと我慢して待っていた子。もっとわがままを言って良いのに自立心が強く母に頼らない子。そんな娘に甘えて、帰宅時間の約束が守れない。立場のある役割になってから、仕事モードのスイッチオフの仕方を忘れてしまったようだった。何が大切で、優先すべき事か判断ができなくなっていた。

ツケが回ってきた

仕事の方のパフォーマンスはというと、日々の膨大なメール処理から朝から夕方までびっしりあるミーティングへの対応に必死。現場からも、離れられない。当然、視野は近視眼的になりがち。リーダーに求められる判断力や構想力は、残念な切れ味だったと思う。実際に部下が困る状況もしばしば。キャパオーバーは、随分前からだったのに、メスを入れず、しまいには判断できないまま保留ぐせが積み上がり、頭の中はごちゃごちゃに。

家庭と仕事は、表裏一体。うまくいくときは不思議とスパイラルアップ。この時は、その逆の現象が起こっていた。コロナ渦で通勤がなくなり、随分楽になったはずだったのに、いつしかまた自転車操業に戻っていた。

最期は、物事が覚えられない、思い出せない、認知症のような症状にさえ感じる程にまで。体も脳も心も不能状態に陥っていた。当然、自分への自信・信頼はほぼ皆無の状況だった。

身動きできない限界に到達してしまった。


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