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きみはイプセンを読んだことがあるか(ない、だから読んだ)

11/18/24
イプセン現代劇上演台本 毛利三彌訳より
『ロスメルスホルムの白い馬』(1886)

牧師と内縁の妻がいて、牧師の元妻が自殺した理由が徐々に明らかになる。会話がいまいちぼんやりしていて牧師がボンクラにしか見えない上に、ふたりで橋から身を投げる結末もなんだかなあ、と思う。イプセンの戯曲は全部読まなくてもいいや、と投げやりな気分。

古井由吉『楽天の日々』
『ワンピースのおんな』を出版した際にお世話になった草思社の方から送っていただく。本のプレゼントはいつでも、とても嬉しい。これは晩年のエッセー集。この作家の小説は読んだことがない。繰り返し触れられるのは幼年期に体験した空襲と、戦後の体験で、この文章が実に鮮やかに景色を想起させる。戦時の記憶を文章にして残してくれた作家に感謝しかない。そしてこのような目撃者が存在した時代の終焉を否が応でも感じさせられる。あとは継承していくべきことを忘れずに、想像力を常にはたらかせて生きるしかない。

p211
その十月、私のほうはいつ来るとも知れぬ汽車をまず岐阜の駅で、つぎに名古屋の駅で長いこと待たされた未に復員兵でいっぱいの夜行に乗りこみ、翌早朝、閑散とした東京駅の地下道をたどっていると、向かいからジャンパーを着たアメリカ兵が、大股の歩みで、林檎を囓りながら近づいて来て、すれ違いざまにひょいと、その林檎を子供の私の手に渡した。物のはずみについ受け取ってしまった囓りかけの林檎をぼんやり眺めていた子供に、棄てろ、と親は言った。
「赤いリンゴに口びるよせて」と始まる歌がまもなく流行り出す。

p321
お濠端も、簡素で美しいお城と緑の城山と豊かな家の水を眺めて、静かな道だった。
梅雨間のめずらしく晴れたある朝のこと、大人たちにつれられてその道を歩いていると、むかいから一人の老女がせかせかと、物に追われる足取りでやって来て、私たちを避けて通るかと見えてまっすぐに近づき、この町もそのうちに焼き払われるという噂だが、ほんとうだろうか、という意味のことをたずねた。そんなことは、あるものか、と大人たちは一笑に付した。老女もほっとした顔で笑ったが、ふっと私たちのそばを離れると、また怯えた背になり、濠に沿って遠ざかって行った。老女の去った後から、濠端はいよいよ静かになった。それからほどなく、ある雨の夜に、私たちはその濠端の道を、焼夷弾の着弾に追われて走っていた。
城下町大垣の炎上を見たのはそれから半月あまりもして七月も末、私たちは西大垣の畑の中に立って、ただ呆然と眺めていた。町全体がひとつの大火炎につつまれていた。その火炎がときおりゆらりゆらりと天へのびあがり、白い閃光が火の底から射し、畑の果ての林の影が黒く浮き出た。
その翌日から、長かった梅雨が明けた。

11/19/24
イプセン現代劇上演台本 毛利三彌訳より『海夫人』
文句言いつつ結局イプセン読み続ける。
結末は『人形の家』の逆パターンで、夫が妻を自由にさせると宣言した途端に妻は出ていくのをやめる。なるほどね〜 しかし元妻とか元カレとか、そんな話ばかりだなあ。いかに抑圧されていたのかがわかる。

イプセン現代劇上演台本 毛利三彌訳より『ヘッダ・ガブラー』
こんな話だったのか。現代美術作品でこの話をモチーフにしたものを見たことがある気がする、詳しくは忘れた。誰もが誰かの思い人だった過去があり、誰もが腹に何か隠しているようなヒリヒリした状況で、ピストルぶっ放して終わる。やりすぎ感があるけど面白く読めた。
これを最後に図書館への返却期限が来たので一旦返却。読み残したものはいつか読むかもしれない。『野がも』はタイトルが良くて気になっているから、読みたいな。


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