芭蕉の句とランニング
週に2〜3回、隅田川テラスを走ります。新大橋から下流に向かって走ると、突然スコーンと景色が抜けて佃島の高層ビル群が見渡せるのが気持ち良いです。
この辺りに松尾芭蕉が住んでいたことから、テラスには芭蕉の句のモニュメントが並んでいます。
今から約340年ほど前、松尾芭蕉は隠遁生活をおくるつもりで日本橋から深川に引っ越してきたと言われています。
当時の隅田川以東は埋立・開拓が始まって20年ほど。郊外の寂しい場所だったようです。
テラスに並ぶ10個余のモニュメントの俳句のうち、当時の江戸の生活が想像できる句を3つご紹介します。
芭蕉野分して盥(たらい)に雨を聞夜哉(1681)
芭蕉という俳号は、庵の庭の芭蕉の木(バナナ)から来ているようで、ここで詠まれている芭蕉は、読み手でなくて庭の木のことだそうです。
野分、とは台風に吹く強い風のことだそうで、
庭の芭蕉の木が風で激しく揺れている。家の中では雨漏りの音が聞こえる闇夜だなぁ。
という感じでしょうか。
詠まれた当時の深川あたりの寂しい雰囲気と芭蕉の気持ちが伝わってきます。
次は
名月や門に指くる潮頭(1692)
大潮なんでしょうか、庭の門まで潮が迫っているとは、当時は堤防もなかったんですね。
今よりずっと自然と共に暮らしていた江戸の庶民の生活が想像できます。
もう1つ
みな出でて橋をいただく霜路哉(1693)
1693年(元禄6年)12月、隅田川に3番目の橋、新大橋がかかります。
この句は橋が竣工した時に、橋の近くに住む人々が、霜を踏んで河岸に出て来て橋を眺めている風景を詠んでいて、集まった人々と芭蕉の喜びが伝わって来ます。
有名な歌川広重の「大はしあたけの夕立」(1856)に描かれてる橋が、今の新大橋です。
対岸の暗い街並みが芭蕉庵のあったあたり。
芭蕉の句を味わいながら、当時の行燈(それだって高価で庶民は使わず夜は早く寝てしまう)の明かりしかない、しんと静まり返った暗い夜を想像して走るのも楽しみの一つです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?