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マルセル・デュシャン『泉』をめぐる対話型鑑賞
4/17(土)、ワークショップ「アーティストトレース」を行いました。アーティストトレースは、歴史に名を残したアーティストの作品を対話しながら鑑賞し、その背景にある戦略/戦術を読み解くプログラムです。今回のテーマは、マルセル・デュシャンです。
1917年、さまざまな技巧を凝らされた絵画や彫刻が並ぶ美術展に、既製品の男性用小便器に「Fountain(泉)」というタイトルをつけて出品されました。この作品を手がけたとされるデュシャンは、「アートとは何か?」という問いを社会に突きつけた、現代美術の祖であると言われています。
今回は、このような文脈の複雑な作品である「泉」を用いて、対話型鑑賞をしてみたらとても面白かったので、その内容をご紹介します。あわせて、このようなコンセプチュアルな現代的美術作品をもちいて対話型鑑賞をする際のポイントも書き添えておきます。
対話型鑑賞とは?
対話型鑑賞とは、主に美術作品を見ながら、複数人でその作品から受け取った印象や考えたことを対話する活動です。一見地味に見える活動ですが、同じものを見ても人によって感じることが違うことが明らかになるプロセスがスリリングなのです。
そのプロセスのなかで、人の意見によって自分の見え方や感じ方、考えが変化していく過程もまた、この活動の魅力です。「考え方が変わる」というセンセーショナルな出来事が、美術作品を対話しながら鑑賞することで、何度となく起こるので、脳内が活発に動くのがよくわかります。未体験の方は楽しいので、ぜひどこかで経験してみてください。
現代美術の対話型鑑賞は可能か?
この対話型鑑賞では、ゴッホやピカソなどのモダンアート、あるいはルネサンス期の西洋絵画、もしくは日本の浮世絵などといった、100年以上前の作品が用いられることが多いです。なぜなら、現代的なアート作品の場合、作品に描かれていない文脈的な要素が多いため、対話型鑑賞に向かないとされているからです。
このように「見えない」情報が作品の前提にある作品の対話型鑑賞は本当に困難なのでしょうか。今回は、マルセル・デュシャンが手がけたとされる『泉』を用いて実験を行いました。
マルセル・デュシャン『泉』とは?
デュシャンの『泉』とは、1917年に「第一回アメリカ独立美術家協会展」に送りつけられた作品です。既製品の男性用小便器に「Fountain(泉)」と名付けられ、R.Mutt(リチャード・マット)という偽名がサインされた物です。
この展覧会は、年会費を払えば無資格・無審査で誰でも作品が展示できるという平等主義に基づいて開催されるものでした。しかし、この『泉』は「アートではない」という理由で展示を拒否されたのでした。
これが『泉』という作品にある背景です。ポイントは3つあります。
1. 既製品が作品になっている、つまり作家がつくったものではない
2. 「アートではない」という理由で作品の展示が拒否されている
3. デュシャンではなく「R.Mutt」という偽名が使われている
こうした文脈一つ一つが、この作品を考えるうえでの重要な情報となっています。こうした目に見えない文脈のある作品の対話型鑑賞は、果たして可能なのでしょうか。
『泉』の対話型鑑賞
対話型鑑賞では、アルフレッド・スティーグリッツが撮影した『泉』の写真と、The Blind Manという雑誌に寄稿されたテキストをならべたものを見ながら対話をすすめていきました。
対話で生まれた意見は、以下の通りです。
最初見た時は、衝撃でした。汚い物、見たくないものを人に見せたものは何故だろう?汚いものの中に神秘を見ようとしたのかな?
トイレではないように見えた。インテリアに置いてあってもいいような感じ。トイレだったとしたら、なぜ横にしたのだろうか?「トイレもアートだ」って言いたいのなら、トイレらしく立てたほうがよかったのではないか?
作品として、作家の手が入っていない。つるっとしていて作品としてグッとこない。描かれたサインが作品なのか?
ここまで意見がでたところで、『泉』にまつわる情報を整理して僕から伝えました。そのうえで、「この情報をふまえて考えたことはありますか?」と問いかけてみました。
この作品は、アーティストやアートに見慣れた観客に向けられたものだと感じました。
ピエール・エルメの「わさびのべリーヌ」を食べた時、とても不味くて衝撃だった。でも一転してエルメすごいって思った。その感覚に似ている。
NFT、デジタルプロダクトにも似ている?
サインが偽名になっているところが気になる。「Muttっていうアーティストがいて、トイレに泉と名をつけた」という出来事をデュシャンがつくりだしている。メタに見てるし、パロディであるようにも、そのような名付けやサインの行為がアートであることを肯定しているようにも見える。
そんなメタな視点からアートを定義づけられたら、デュシャンを越えられない難しさがあるように感じる。
こんな対話が繰り広げられました。40分という短い時間でしたが、『泉』という作品の本質にせまるような対話が繰り広げられ、非常にスリリングでした。結果として、デュシャンの『泉』でも、十分に対話型鑑賞は可能であると実感しました。
背景情報が必要なアート作品で対話型鑑賞をする際のポイント
この「泉」のような、文脈を持った作品は数多くあります。
あるいはピエト・モンドリアンのコンポジションや、赤一色で塗りつぶされたマーク・ロスコの絵画など、鑑賞のために背景にある情報が必要な作品はたくさんあります。こうしたコンセプチュアルな作品による対話型鑑賞は、アートの定義をめぐる対話を生み出しやすく、現代におけるアートの意味を思考するために有効な題材であると感じています。
このような作品を用いた対話型鑑賞を行う際のポイントは2つあります。
1つめは、ファシリテーターが作品の背景情報を十分に把握しておくことです。参加者がどのような問いや意見を言ったとしても応答できるよう、さまざまな角度から作品を熟知しておくことが必要です。
2つめは、作品について対話し、作品の背景に関する仮説に話題が移ったタイミングで、参加者の発言を肯定できるように情報提供を行うことです。たとえば、参加者の意見に対して「今おっしゃっていただいたことは、この作品にまつわる研究でも言及されています。研究では…」とか、「今おっしゃったことと似たことをアーティスト自身もコメントしています。アーティストによれば…」といったかたちです。
今回のように、美術館の展示のように、作品と同時に解説テキストも提示してしまう方法もあるかもしれません。
こうすることによって現代美術作品でも対話型鑑賞が十分に可能であることがわかりました。ぼく自身いままでモダンアートに偏りがあったので、これからはどしどし現代美術作品にもチャレンジしたいと思います。
次回、アーティストトレースは草間彌生をテーマに、鑑賞と研究・創作活動などもやってみようかなと考えています。ぜひご興味ある方はご参加ください。
twitterでも情報発信をしています。次回告知をお待ちください。
マルセル・デュシャン『泉』を対話型鑑賞の題材にしてるんだけど、美的鑑賞というより哲学対話みたいになる。
— 臼井 隆志|Art Educator (@TakashiUSUI) April 17, 2021
「作るとは何か?」
「アートとは何か?」
「美とは何か?」
「批判・戯画化とは何か?」
「コンセプトの提案とはいかなるものか?」
といった問いが生まれていく。いい教材だなぁ。 pic.twitter.com/PEsfaBEcXH
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このマガジンは、アートエデュケーターの臼井隆志が、様々なアートワークショップを思索・試作していくマガジンです。ご購読いただいた方には、日々のリサーチ日誌を週次で公開すると共に、対話型鑑賞などの実験的なワークショップおよび月に1回開催される「アーティストトレース」のイベントにご招待させていただきます。
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