ぼくが目になろう(中編)
謹賀新年
見出し写真は「蛇」の「目」と掛けてみた。今年、乙巳は変革と再生の年なのだと。樹木の様に蛇の様に、しなやかに強く賢く過ごせますように。
今回は、続・追悼・谷川俊太郎さん、(「ぼくが目になろう(前編)」の続き)なので、家にある詩集を読む。
目次の題名を見るだけで圧倒される。
読む。
何なのだろう、行から行への跳躍、一瞬と永劫の同時成立。
リズミカルだけではない調子はまるで鼓動そのものだ。
言葉は命を捕まえる。捕まえて再生産する。読み手に渡ることで。それは戯曲も同じで、命を書いている自覚はある。真似事と書きかけてやめた。拙くとも真剣には取り組んでいる。しかし彼我の違いは何だ。純度か鋭さか深さか。全てだ。それから有るものと無いものと。世界にある絵の具は同じなのに。選び方か。見つけ方か。目、か。
「目」の鍛錬はどうすればよいのだ。いっぱい見るのだ。良いものを美しいものを素敵なものを。悪いものを醜いものを酷いものを。世界を。人を。
読む。
ページを繰る。
なんてことだ。鉛筆で書き込みがしてある。舞台で読んだんだろう。
「ここで切る」「固い決意」「開き直り」「たんたんと」「ゆっくり」「せめる」「半分すねて」「しんけんに」「“ぼくはただ”に傍線」
げんなり。詩に比して演出が卑小すぎる。まあ、この時(多分30歳頃)の精一杯であったのは確か。一生懸命であった覚えはある。明日の事なんか考えてなかった。何になりたいかなんて先の事はちらとも頭の中に無かった。考えたくなかったのだな。『山月記』に共感するばかりで溺れた。無駄とは思わぬ。そうとしか在れなかった。
『我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ることを惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。…(中略)…人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。』
(「山月記」中島敦 抜粋)
詩集を読み進める。
又してもなんと、ページを破いてある。4ページ、紙にして2枚。何を考えていたのだ? 本に対してそんな事を私がする訳はない、と衝撃を受けながら、他に誰もそんな事をする訳もない。30代の頃、私はこういう事をした。何をしたかったのか、何を破ったのか覚えていない。思い返す事に意味はあるだろうか。捨てたものが何か確かめなければならぬ程50代は暇だろうか。それらをもう一度踏越えなければ先はないだろうか。さあ、どうだ。
「さあ、さあ、さあ、さあ、さあ!」
二十歳の頃の台本の台詞が私を煽る。さあ、私は何になろう。
「なれるものにしかなれやしないさ」怠惰と羞恥が条件反射的に囁く。
そんな時、俊太郎さんの言葉は星の如く瞬く。己の内ばかり覗き込む瞳に光が映る、顔があがる。輝きが強いのだ。二十億光年を飛んでくるのだから。それから光は己の内の星を照らす。私の足が大地を踏んでいる事、私の手が空へ差し伸べられたり、誰かを撫でたり出来ることを思い出させる。己の中の命に気付く。星の数ほどある輝く光の一つであることに思い至る。一瞬、傲慢から離れられる。
うん。予感はしていた。紙幅が足らぬ。題名を(中編)に書き換え、次回へ続ける。