嫌なこと→2024/02/13

人に何かを詮索されるのがまず好きじゃない。ただこれはライトな話であって、往々にしてその限りではない。率直にいって、自分のプライベートを切り売りするような立ち回りが好きじゃないんです。だから少なくない場で、それなりに喋っています。ただちょっと最近はそんな風にもできなくなったきらい、確かにあります。はひー。


本当に、人から貰った大切なものを失くしてしまうのが本当に嫌、かなり真面目な話。
どうしてなんだろうか。
気は緩んでいた。迷走もしていたし、ブレブレでもあった。調子も悪かっただろうし、いわゆる本当の自分の気持ちといったものを、ことごとく無視していたような気もする。本当に嫌だ。間違いようのないストレス。





 と、上まで下書きに書いてあって、何ヶ月ぶりか長めの散文を書いてみる気になった。(ところで上の紛失についてのような文章は、いったいなんなのでしょう? 指輪か??)そんな夜になった。
(自己陶酔のようなものを作るのは嫌なんだけど)近頃の夜には長めの文章を書く機運がまるでもって感じられず、一人でジクジクとばかりしていた。そんなことを考えればこんな風にポチポチポチとやりだしたのはきっと良いことで、そこに特別なテーマや主張が無くても良いように思われる。床やベッドにうつ伏せに、ときに横たわってひたすらタップやフリック。スーパーカブのようなが外を通り過ぎていく。そんな雰囲気が好きなわけなのです。
 極論一個人がその感性をもって好き勝手した文章なんて、どうしたって特別性を帯びませんか? 恣にしているわけだし、言葉選びや形式だってフリーなわけですから、自然と作者のアイデンティティのようなものがそれらには透けてくると思うのです。同時に自由に言葉を連ねることの大切さを、思わずにはいられない。
 社会活動じゃないのだし、紋切り型や通り一遍のものを作ったらつまらないでしょう。それこそアイドル的に、元々その書き手の存在を好きな人が読むにすぎないと思うのです。虚しいですよ、アイドリーが求めているのは、きっと本質とずれています。言葉を選ばずに言うと、可哀想とまで感じます、歌や言葉ではなく、違うものが求められている、見られている構造は。
 別に僕は本当に、僕の書いているこういったnoteが広くあまねく読まれるべきだと思っておらず、読みたい人が勝手に読めば良いと思っています。ちなみに彼は読んだことがあり、なんとまあ感想のようなものまで送ってきてくれたことがあります。稀有です。





 過去の自分がつけたタイトルに引っ張られたくはないけど、直近の嫌なこと、嫌だったこと。
 なんだろう、犬猫を呼ぶような(これは犬猫にとって本当に失礼。意思をもたないものにこそ)仕草で、つまり明らかに自分より下等に対しての挙動のもとに存在を呼ばれるのは嫌ですね。
 ほならその場ではっきり言うたらよろしい、そんな話ですが、まあそうもいきませんでしたわ。
 コミュニティ・飲み会という場において、変に社会化してしまっていました。半ばオートマティックに。まあでもそれが人間ですよね、場に合わせて空気に合って、自ずからその側面を使い分けるのは、そんなに珍しいことでもないでしょう。その日の僕は若造だったということです。それだけです。そこになんの恨みもなければ嫌悪もなく、ただそうであったという回顧です。振り返り。若造も悪いだけのものではありません、損ばかりでもない。むしろ逆に得さえあります(損得勘定は嫌いですが)が、まあまあまあ。








 ただねえ、やっぱり嫌ですよ。露骨に下に見られるのは。誰だってそうでしょう? その日の間、ひとりになった時すぐにそのシーンを立ち返りましたが、なんかアレは嫌でしたね。ただ怒りはないです。若輩を若輩とする人、普通にいますからね。自然現象でしょう、つまりは雨風と同じ。季節。天気雨に不快になったって、怒声はあげないでしょう? いやあげるかもしれませんけど、基本的には。











 あー書くことに詰まりました。このままでは愚痴に終始する。まあそれでもわるないけど、なんかしっくりこない。
 今も昔も、自己陶酔したような文を書き続けてきたら嫌だなあ。読み返すときに恥ずかしい。

 ただしかし、もしそうだとしても、それを誰かが嫌じゃないようにネタにしてくれたら良い。負けるが勝ちという言葉もある。

 ぞろぞろとグダグダと、取り止めもなく書き連ねている文章群で、自分というものが少しでも伝われば、それだけで良いと思いつつ夜な夜な書いております。

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