「誠実さ」とはなにか (自責と他責のバランスについて)
ハロー、ごぶさたしてます。
まじで天気悪いね。
気圧のせいでまわりのみんなの調子が悪い悪い(笑)
うちは内科のクリニックだから夏は閑散期なんだけど、この気圧のせいで心の調子を崩す人が多いのか、とても繁忙期だよ。
さて、今日のテーマは「誠実さ」というものについて。
日々、診療室で人生を見つめ直しだったり自己イメージの再構築を希望するひとと話しているのだけど、その中で「気づきノート」というのをかいてもらうことがあるのね。
で、しばしば感動的な内容を書いてくれたりすることがあって、最近はそのノートを読んでいる時が、医師としていちばん幸せな時間なのかもなあ、と感じたりする。
以前、こんなつぶやきをしたんだけどさ。
何歳になっても、どれだけ絶望的なことを積み重ねても、じぶんには「キャラ変の余地がある」という圧倒的事実は変わらないよね。
— Dr.ゆうすけ (@usksuzuki) June 19, 2019
変化の過程にあるときは、一貫性の無さやなんだか納まりのわるい居心地の悪さがあったりするものだけど、「キャラ変」ってのは、実はとても誠実な試みだとおもうのです。
ひとが真摯に変わろうとする姿を間近でみるのは、とてもロマンティックだ。変わるために、じぶんの「ほんとうの部分」と向きあおうとする姿勢は、まじですごい。「神か!」って感じ。
先日読んだノートの内容が、あまりに素晴らしかったので、本人の許可を得て、きょうはその内容をシェアしたうえで、考えを整理したいなとおもった。
いつも読んでくれてありがとうございます。 文章を読んでもらって、サポートをいただけることは本当に嬉しいです。