人の素行 vol.8 サティヤーグラハを現代人は再現できるのか
トランプ大統領に陽性反応がでちゃいましたね。。すごい世の中になってきた。
こういう時はTwitterは見ないに限ります笑
いや、私は聖人君主じゃないから、いっぱしに好き嫌いは当然ありますけど。それでも見なくても分かるぐらい。
誹謗中傷のThe温床でいらっしゃるTwitterに今頃集まってるであろう言葉たちは、ニヤけた口元からこぼれ出た負の感情が有象無象に溢れているだろうから。
人類歴史は、仮想敵との対立の物語
ガンディーのサティーヤーグラハの要素の1/100だけでもいいから、1回、対立構造を止めてみて、
「循環型社会ってこれで合ってるかなー。どう思う?」
という対話ができたら。
便利な生活を維持したまま、気持ちの良い本質的なエコライフを今の生活に接続できるんじゃないかと、すごーくすごーく淡い夢を見ていました、ガンディーの人生を振り返りながら。
ガンディーのサティヤーグラハを知れて良かったことは、人の素行は理念1つで変えられるというファクトフルネスを知れたこと。そしてそれは1つの国が独立するきっかけを生んだと言う実績もあること。
逆に、私がサステナブルシフトが起きるカギだと思っている人の素行は、今まさにTwitter上で嵐のように飛び交っているであろう負のツイートが表すように、対立構造の中で生き生きとしてしまう性質があることに、ちょっと途方にも暮れてしまってます。
ガンディーはすごいことを成し遂げたけど、最後は暗殺されてしまってて。
そして世界にとっての偉人ガンディーは、家族にとっての父としてはろくでなしと言わざるをえない人物だった、
というパラドックス・ファクトフルネスもまた、真実は小説よりも寄なり。
(詳しくはコテンラジオさんのガンディー回ラストをご参照ください。かなり衝撃的な家庭事情でした)
ガンディー先生からヒントや勇気はもらえたけど、同時に家庭もかえりみず(彼の視点がもっと高次元の俯瞰したところにあったから)、暗殺されるほどの対立構造を残したまま、逝くことになってしまうほど、人の攻撃性への執着は強く有るのか、と思い知らされます。
人の攻撃性への執着に、私自身その無意識の執着がわかってしまうからこそ、難しいもんだなぁという着地をしてしまっている自分がいます正直。
までも、決して絶望しているわけではなく。
所有することに執着しないガンディースタイルを、今風に言えばシェアリングエコノミー、的な?。明らかに今そこに人の意識も興味も向けられている時代でもあるわけなので。
便利さVS気持ちよさなどと、自ら対立構造に持ち込んでいたことに気づかせてもらえて、よかったです笑
少なくとも現代では、ガンディーの時代当時よりも取れる選択肢は多少なりとも多くあるはずなので。
人様の素行を攻撃せず、気持ちよさ推しという打算的な発想よりも、ただただ愛を込めて(←コレ、果たしてできるのか!?笑)
今日からサティヤーグラハのエッセンスを自分自身のライフワークに小さじ一杯垂らしてみることからはじめてみるよ、ガンディー先生。
まだまだヒントを見つけたばかり。考察は続きます。