自己責任論に反対するアナーキストのための大学受験指南

 とは言ったものの、受験生活を送ることがすでにあかんような気もしている。

 「受験」は資本主義がひとを強制動員している場の一つだ。「未熟者」とされる生徒たちに自己責任論を内面化させる場でもある。そこには、社会を経験した者としていない者という対比が正当化する、親/子供、教師/生徒という権力勾配がある。「受験」の中で受験生が犯した過ちは全て受験生自身の責任だ。私が前の休日にほとんど勉強しなかったことは、私の受験に対する緊張感のなさのみを示している。いかな言い訳も、親・教師という権力の前には無効だ。そんなの社会に出たら通用しないよ、と。事実、自己責任論で動いている新自由主義社会では通用しないのだが、受験生は完全に反論不可能な形で、その世界観を飲み込み、内面化しなければならない。なぜなら、資本主義社会のルールと受験のルールは同じもので、権力を逃れることは、受験を逃れ、「社会」に身を晒すことから逃れることだからだ。実際にはそれは不可能だからだ。少なくとも、受験生はそう思い込ませることになる。

 では、受験をサバイヴしながら資本主義から逃走し続ける方法はあるだろうか。自己責任論を内面化することなく、受験を乗り越え、資本主義と闘争するにはどうすれば良いか。それは単純に、受験というゲームを降りることだ。「受験」の権力勾配の中で、単にサバイヴすること。そこに成功も失敗もない。そして競争をやめたとき、他者は没個性的な競争相手ではなく、連帯する仲間となる。まら、受験生の規範を逃れること、そこに抵抗すること。受験への向き合い方は、権力を通じて単一化される。その共同体性を自分勝手に解体すること。連帯し、自分勝手な「受験」をただただサバイヴすることだ。

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