愚痴つぽい男となりぬ爪の垢 / 井上刀三 【著作権のおわった柳人の句をよもう!】
評というより、変な空想です。
お時間・体力よろしければ(…体力はあんま要らないかも笑)お付き合いください。
この句の語り手、昔は勤勉・真面目な子どもとして、周りの子のお母さま方から「うちの子にも、あんたみたいな子の爪の垢、飲ましてやりたいわ」なんて言われていたのかも知れない。
しかし、語り手自身が大人になった今、真面目すぎる自分は周囲の人たちから「カタブツ」扱いされてしまう。
そして、それを尻目に出世していくのは社交上手な人たち。かつて自分が「遊んでばっかりだな、あいつら」と見下していたような連中だ。
そうなってしまっては、心中穏やかではいられない。
たまに気の許せる友人と飲み屋に行った時なんかは、ついつい「なんであんな奴が出世するんだ。俺の方が真面目にやってきたのに」なんて、愚痴を漏らしてしまうことだってあるだろう。
でも、それが「格好悪いことだ」ということは、語り手自身が一番よく分かっているはず。
飲み屋から家に帰り、一人になった時にはふと、「ああ、おれっていつからこんな人間になっちゃったんだろう…」なんて自責の念にかられてしまう。
子どものころは周りの大人たちからチヤホヤされて、自慢だった性格や、生き方。
それが今や、もう誰も自分の“爪の垢”なんて欲しがらない。
そのくせ、爪の内側には、あの頃よりもはっきりと垢が垢としてこびりついてやがる。
ああ、おれもこんなに愚痴っぽい男になっちまった…。
…と、そんな句として鑑賞してみた。せつない。
蛇足だけど、
「愚痴っぽい男となった爪の垢」
ではなく、
“愚痴つぽい男となりぬ爪の垢”
なのも良い。より過去を振り返ってる感あって、文語としてのよさが出ているような気がした。
“つぽい”の軽みを軽薄にしすぎず、「軽み」として保てているのも、この“なりぬ”という言い回しのお陰かも知れない。