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【ネタバレ鑑賞記録】あまりにも眩しくて美しい祈りの映画【僕のお日さま】

物凄く美しい光景だったな、と振り返って思う。
奇跡みたいな瞬間に幾度となく立ちあった。

『僕のお日さま』

随分前にSNSで評判を見かけて気になっていたので、ざっくりとしたあらすじだけ目を通しての鑑賞。 
まあ子役2人がかわいくてかわいくて。目がなんかもうキラッキラだったな。

基本的に説明台詞が無くて、演者の空気とか、ざらっとした映像の質感とか、ノスタルジックな色合いが印象に残る。丁寧な映像作品を観たな、という満足感。
※以下、ネタバレあります。
例によって観賞から日が空いているので細部まで…というかあんまりよく覚えてません。思い出せた部分をつぎはぎで。


物語の中盤、3人が自然の中で氷上を滑る時間はあまりにも美しくて、崇高な絵画のような、写真のような、特別な瞬間の切り抜きを浴びるように見せられて、涙が出そうな幸福感に満ち足りる。

それまでどことなく孤独で、コーチである荒川(池松壮亮)のまなざしが自分を捉えていないことを自覚して寂しい想いをしていた少女さくら(中西希亜良)の凍っていた心を溶かすような瞬間にも見えたし、
タクヤ(越山敬達)と出会うまでスケートと距離を保ち、過去を閉ざし、さくらに特別踏み込む事もなく接していた荒川が、自分を取り戻すような瞬間にも見えたし、
熱中して取り組めるスケートと出会うことができて、一歩一歩進めることとか、2人と手を取りながら目標に向かっていけることとか、タクヤが喜びや幸せで満ち溢れたような瞬間にも見えたし、
どうかこのまま、どうか3人が幸せなままエンディングまで…!!!と、願わずにはいられなかった。
そう祈ってしまうくらい、あまりにも幸福すぎる絵だった。

でも、ほんの一瞬のできごとで、3人の歯車がずれてしまう。
さくらが、荒川が見知らぬ男性と一緒にいる場面を目撃してしまう。
このシーンを見た時、さくらが荒川に対して抱いているスケーターとしての敬意とか、親以外の大人への憧れみたいな気持ちが掻き消されそうになってしまったのかな、と捉えた。
例えば、学校の先生がプライベートで出掛けている姿を目撃した時とか、なんというか、知っていると思い込んでいたことに気がつく、というか。私の知ってるあの人じゃない、私が見てたのはあの人のほんの一部なんじゃないか、みたいなことにハッと気がついてなぜかショックを受けてしまうあの感じ。
自分と、タクヤと、先生。
3人で完結していた世界に余所者が入ってきた違和感があって、寂しいような悔しいような、そんな気持ちになったのかなって思った。

でも実はそうじゃなくて、勿論そんな感情もあったかもしれないけど、さくらは、荒川が一緒にいた相手…五十嵐(若葉竜也)が恋人であることを悟り、荒川のパートナーが男性であることに傷つき、タクヤを指導していることに不信感を抱き、嫌悪感へと変化させる。
子どもながらに他者の視線や思惑に敏感になることもあるし、同時に事の本質までは辿り着けず、先入観や決めつけで簡単に相手を傷つけてしまう危うさも持ち合わせていることをしっかり表現していて素晴らしかった。

でもそんなさくらのままならない想いを飲み込んで、「気持ち悪い」という冷え切ったひと言を受け止めて、正すことなく、否定することなく、別れてしまう二人が切なくて苦しくもあった。
ほんの少しの違和感も、人生の岐路を大きく変化させる。特に子どもたちは。
ひとつひとつの出来事が、人生を形取っていく。


また、作中タクヤとタクヤの父親には吃音の表現があるのだが、それをからかわれる場面がほとんどない。あからさまなシーンはひとつくらいかな。
教室で音読の順番が回ってきて言葉がうまく出てこない時も笑われたりひそひそ陰口を叩かれることもなく、タクヤの一番仲の良い友人も素直で良い子。

そう考えると、この作品では全体的に『言葉』に重きを置いてなかったような気もする。
互いの視線とか表情とか空気とか景色のほうが雄弁に思えるくらい台詞が少ないような感じがしたから。

そんな少ない台詞の中でも、印象的でずっしりと心に残ったのが、荒川の「なんか、ちゃんと恋しててさ。羨ましかったんだよ、俺。きっと」っていう言葉。
それを受けた五十嵐が「俺たちはちゃんと恋してないってこと?」って返す、本当に苦しくなるシーンがある。

これがきっかけとなって2人はそれぞれの道を行くことになる(明確にお別れしたという描写はない)けど、荒川の発言の意味を考えてしまった。
きっと、さくらと、タクヤのことだけを捉えて言ったのではなくて、むしろスケートのこと、夢のことかな、って。

荒川がカレンダーや雑誌に掲載されるくらい注目されていた選手だったことは間違いないけど、その道を諦めているし、関係するようなものは全て段ボールに封じ込めて押し入れの奥まで仕舞い込んでいるくらい、今も過去に囚われている。
そんな荒川が、純粋にひたむきにスケートを楽しむ幼い2人を見て眩しそうに目を細めて微笑む時、羨ましいなって顔をしていたもんね。
タクヤのことを話す時、心から楽しそうにしていた。
それを一番近くで見てきたのが五十嵐だと思うし、ここに縛り付けていたらいけないって思ってしまうよな、って。自分にはここしかないけど、お前は違うだろって、そう言ってやれる五十嵐すごいな、と思った。
あと若葉さんすっごいナチュラルなお芝居する。かわいくてせつなかった。

あと音の表現もなんか良かったんだよな。
話す声のトーンもそうだし、線路を通る電車の轟音、静寂、ざわめき、みたいな。雪が音を吸い込んでしんとする感じとか。刃が氷を削る音とか。カセットテープから流れる音とか。「月の光」の物悲しいメロディーとかね。


基本、悪人が出てくることはなくて、正直現実味は無いというか、現実にはもっと悪意に晒される場面もあるよな、と思ってしまう。
その現実味のない感じが、あのざらっとした映像の質感と合わさって余計に幻想美を際立たせているというか、
物語終盤、さくらが一人で氷上を舞う印象的で贅沢なシーンがあるけど、
スケートリンクの窓から差し込む光がやけに美しくて、教会のステンドグラスから差し込む祈りの光のように見えた。

最後のシーン。
タクヤが何をさくらに伝えるのか、それらは観客に投げかけられて終わる。
長い冬が終わり、雪が溶け、春が来て。
真新しいブカブカの制服姿で大切にシューズを抱えたタクヤが、まっすぐに見つめる先にさくらがいる。

なんだか、すっごく鮮やかなイエローでキラキラしてたような気がするんだけど、もう覚えてないな。どうだったかな。

でも今までの、ぼんやり、ざらっとした手触りからパキッとした感じになったような気がして、
タクヤとさくらがひとつ成長したような、ぼやけていた輪郭をぐるっと一周なぞり直したような、そんな印象を持った。

本当に美しい映画だった。

最後に。
スケートリンクのベンチで食べるカップラーメン、まじで美味しそうだったな。

あと池松壮亮、プロフィギュアスケーターだった世界線あるよね絶対。

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