つらかった生理事情
コンバンハー(o´ω`o)ノ~~
まだnoteではお伝えしてなかったのですが
5月から続いていた腰から足にかけての痛みに
「変形性腰椎症」という病名がつきました。
見た目では、わからないのですが
神経の痛みが鋭く…。。
気持ちが滅入ったり、落ち込んだりする事もあります。
なんでかな…
(父の22年目の命日があったからか、明るくしてないとボロボロ涙がこぼれてきてしまって)
気持ちの整理が少しずつ少しずつ
「自分の言葉」にする事で
できるといいなー。
と、いう気持ちと
世の中の負の連鎖やワタシと同じ思いをする女の子が少なくなれば…。
と、1個人としての願いを込めて。
記録させてください。
ワタシ…思春期が周りの子と比べると早かったんです。
(当時の家族構成は、祖父/父/姉/兄)
当時から姉は私の下着やヘアゴムを無断で
履いて行ったり使われたりしていました。
(文房具もなく…、封筒の封留めは米粒でした)
小学校5年生のある日
ワタシの体が女の子から女性になる準備を終え
(今でこそ…「生理」のワードは言葉にできるけれど)
生理(初潮)を迎えました。
姉は、姉で短大に通いながら
家族の3食分の食事を作ってくれていました。
(5年ぐらい前に姉は、脳腫瘍で他界しました)
感謝の気持ちは、ありがとうを
何回言っても足りない。。
わかってるんです…
誰も悪くないのもわかっているんです…
ただ…当時のつらかった気持ちを誰かに話すとかなくて。。
ワタシ…初潮があって始めこそ
生理用ナプキンがあったんですけど
(姉が渡してくれて)
ある日、ナプキンが少なくなってきて
姉に買って来て欲しい。と伝えたら
「やだ。おとーさんに買ってきてもらいな」
と…。。
悩んでも悩んでも
おとーさん(異性)には、言えなかった。
何か悪い事をしたわけではないのだけれど
恥ずかしさと戸惑いと。。
考えた挙句、ガーゼが家にあったので
それをブルマ(下着は姉に履かれてなかったので)
に、あてて学校に通っていました。
でも…それを相談したり話す人がいなくて。。
(まだまだ気持ちの整理には時間が
かかりそうです)
結果…、、体育座りや体育の時
色んな場面で染みてしまうんですよね。。
面白がって
まだ初潮が来てない子たちのグループが
聞こえるように
「うさちょんさん…生理来たんだって!?
」
「あなたが行く所(座る所)行く所、汚れてるー」
その話も、大人になってから
あの時、ナプキンなくてつらかった
って。やっと言葉にできたぐらいでした。
大好きな父を悲しませたくなくて
機嫌であたる父だったから
あたられるのが怖くてイイ子でいたかった。。
前後して父は、(今でいう性的虐待)ワタシの裸を体を内科の診察時に先生側に回って
見てきたり
胸を触って来たり…。。
つらかったなー。
今でもまだ苦しい。
ワタシ…望まれて生まれて来た。
はず…よね?
私は惨めな思いや罵声や父の性的発散のために生まれて来たわけではない。
それに気づくまで何十年もかかりました。。
誰も悪くはない、、
今、思うのは…それぞれみんながみんな
自分の事で精一杯で
ワタシの事まで気が回らなかったんだよね。
って思えるようになりました。
父子家庭で育った故に
毎日、替えないといけないハンカチや下着の着替え。
毎日の歯磨きや入浴の習慣がなく…。。
今は、少しずつ習慣づけている所です。
世の中のお母さん、お父さん。
(私は子供を生んだ事も育てた経験もないので、わからない
(実際の子育ての大変さや苦悩がわかりません))
だけれど…母に子供を置いて自死され
父にやつあたりされ、虐待も受け
散々な目に遭ってきたけれど…
病気でも事故でもツラい…
自死で家族を亡くすのは、もっとつらい。
だから…
自死はしないでほしいです。
(お父さん、お母さんに限らず
1人1人の方に伝えたい…)
ずっとずっと死にたかった
こんなに苦しくてつらい思いを
背負って生きていくのが嫌だった。。
少し前に兄から言われた言葉
「うさちょん、何してもいいけど
自分でいなくなるのだけはやめてな…
ほんと、それだけは約束してくれるか?」
「自分でいなくなったらなーんもしてやれんでな。お母さんと同じいなくなり方は
しないでな」
私はめげません。
私の人生の主役は、私だから。。