母親
この間、久しぶりに母と2人だけで会った。
母は私とは仲良し親子だと思っている節がある。何でも話せて、何でも分かり合える的な。
でも、私はそうは思っていない。母の話には納得できないことが多く、表面上「うんうん」と聞くけど、本当は苦痛でしかないことが多い。
いつもいつも「そうだね」と肯定できるとか、またはいちいち反論するとか。そういう些末なコミュニケーションも、億劫になるくらい、本当は意見も違うし、ものの見方も違うし、母の強調したいこと、訴えたいこととのソリが全く合わないこともままある。
一緒に暮らしていた頃は、そのいちいちに、きちんと反応し、丁寧に対応できないと、ものすごい罪悪感と、自分がダメな人間、非情な人間であるのでないかと感じていた。苦しかった。
先日会ったときも、開口一番は、仕事の愚痴と、父への不平不満だった。「普段聞いてくれる人がいないから、帰ってきてくれると、いくらでも話せちゃうわ!」と母は言った。
いくらでも話せちゃう、か……。
気持ちがどんどん冷めて、お腹の中で苦くなっていくのを感じた。
母のひっきりなしの愚痴と不平不満に、あっぷあっぷして、その毒のシャワーをじゃんじゃん浴びる。
とても疲れる。
母はお年寄りの介護施設で働いている。介護職は、離職率が高い。母の勤めている施設の職員も、次々辞めていくという。どんなに募集をかけて、穴埋めしても、焼け石に水で、雇って2ヶ月くらいすると、辞表が出るらしい。
「緊急搬送が深夜にもあって対応でき、(少し大きめの)車の運転ができて、夜勤のできる人」
が特に欲しいらしい。
そんな大枠ならたくさん募集があると思うけど、
「若い女の人はだめ。いつか結婚して、妊娠したらやめるから」
「男の人は気が利かないからだめ」
「女の人も40くらいだと、ご両親の介護問題があって、家がごちゃごちゃしてそうだからだめ」
だめばっかりである。そんな話を延々と聞かされて、私にどうしろと。。。
私に言えるのは、いまやる気があって、大枠の条件が合えば雇ってみるのも手では? ということくらい。母は別に管理職でもなんでもないので、噂はこうだ、どうやらこういう人がだめらしいとか、そういうかなり曖昧な定義でしか、採用の事実を知らない。
アンコンシャスバイアスの塊みたいな、採用の実態に、私にそれを言う? とも思う。
若い女の人だと、結婚するかも。妊娠するかも。でも、環境が整っていれば、「辞めないかも」とは考えないのか。
私は曲がりなりにも障害者で、障害者求人で採用されて、仕事をしている。
障害があるからだめ。
まず、職場に馴染まないのでは? 仕事がきちんとできるのかしら。
障害者ってすぐ辞めない?
この診断名の人は勤怠が安定しないからなぁ。たぶん、すぐ辞めるんじゃない?
という偏見やら事実やらを、飲み飲んで(?)採用してもらった娘を持つあなたが、そんな偏見だらけでいいの?
と思うわけで。
母と話していると、「なんで?」「どうして?」とばっかり思っている。疲れる。
納得がいかず、「そうだね」の返事も苦しいとき、なんて返事をする?
そういう不平不満や、愚痴や、身勝手な感じすらする怒涛の発言に、一応「うんうん」と聞くわけだけど、もう疲れた、聞きたくないと顎が出るのが、そんなに悪いこととは思えない。
母が私のリアクションを本当はどう思っているのかは、分からないけど、仲良し親子と思っているなら、私はずっと苦しいままだ。
だから、私は家を出た。
母のダブルバインドな縛りも苦しかったし、今回書いたようなソリの合わなさ、日常的な無理解にも疲れていた。
離れて生活してみて、必要だったと感じている。
私には病気もあるし、一人暮らしを決意したときには、就職先も決まっていないし、就活自体がどうなるかも分からなかった。感染症の拡大もあった。
不安だらけではあったけど、母と離れるメリットが、何よりも勝った。
年末年始は、帰省することになっている。たぶんすごく疲弊する。
今回2人で会ってみて、もう一生一緒に、暮らすことはないだろうなと思った。きょうだいとも。
でも、なんだか色々分かって、納得してスッキリした!
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