![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/90134069/rectangle_large_type_2_9cfc15e4bbcc308d579c0e15c4c16569.png?width=1200)
ものが多い人の住まい
部屋にものが多い。
何から捨てたらいいのか分からない。
1番多くて、処分に困るのがノートの類。紙束の類。本。
どうしようかなあ、捨てるに捨てにくいし、困ったなあ。と思いながら、毎日何かしらノートに記録をつける。日記だったり、(自分用の)仕事ノートだったり、体調管理のためのシートだったり。
どっしりある紙の記録。
私はそれを無駄だとも、全てデジタルにして、捨てるべきだとも思わないので、部屋にはノート用のみかんサイズダンボールがいくつもある。
もう滅多に見ないものなら捨てて構わない。というか、そういうものを真っ先に捨てるべきだ。
という意見があるのも知っているし、そうなんだろうなとも思う。
ものを少なくしたいと思いながら、ノートを貯め続ける、書き続ける、作り続ける人の気持ちとして、一言申し上げるなら、デジタルでは味わえないものが、紙にはあるということだ。
たとえば電子書籍を買い、少しばかり読んでみて思うのは、今何ページ読んだ?という実感の薄さに寂しさを感じる。読んだ時間が表示されたり、「あと何時間で、読み終わります」みたいなデジタルの表示はされる。
でも私が知りたい読んだ感触というのは、本の厚みであり、ページの嵩だ。
何時間読んでも進まない本もあって、それはそれで趣がある。
何時間で読み終わるかを知るよりも、今読んだ感触を目で知り、手で知りたい私としては、デジタルの時間を示されても、なんだか味気ない。時間は大事だけど二の次なんだよー。と思ったりする。だって読書は好きでするものなんだし。タイムを競ってするものじゃない。
ノートも同じ。
手書きして、積み重なっていく文字の量。シャープペンシルの芯やボールペンのインクの減り方。自分の癖字の荒れ模様。うきうき模様。がっかり模様。
いつか見返す時のために取っておくのなら、確かに捨てた方がいい。デジタルに残して、終わった方がいい。
そうではない。部屋のそこここで書き終わったノートが生活の一部としてあって、今日という日、昨日という日、1年前という日があること、手触りとしてそこにあることが、私には大事なこと。
もし、将来的にもういいやと思えば、それがそのノートを捨てる時なんだろうと思う。
そのものがものとして価値があるときは、どう転んでも捨てたくない。それは誰しも同じ気がする。
ただ、ノートは見た目として嵩があるし、場所をとるし、「同じようなこと書いているんだし、もういらないでしょ」と言われて、反論できない弱点がある。
部屋にいくつもダンボールがあるのも、なんとも残念だし。
ものを持たない暮らしを目指しながら、やっぱりノートを書き、本を買って、そして積み重なって、増えてゆく。
まあ、ぼちぼちでいいか。とダンボールのふたを開けて、また閉める。
ものは減っていきません。
堂々巡り?
【今週の週1チャレンジ】
休日にでかける。
#日々 #日記 #文章 #エッセイ #毎日note #毎日更新 #ダンボール #ものが多い人 #ミニマリストになりたいような #ノート #捨てられない #捨てる時