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上から目線の業務連絡メール

メールは主に文字だけの文章だけ。

顔が見れるわけでなし、本当の意図が伝わりにくいというのは、よく知られた話。

でも、音声や表情を伴わないメールだからこそ、誤魔化しきれない本音が覗くこともある気がする。

父上のメールが分からないという話は、いつかの記事で書いた。

今回も父上メールの話。

先日母と父上は、都会に出向いて、展覧会に行った。

父上が、母に熱心に一緒に行きたいと言っても、母は「1人で行けば」みたいな反応なので、私に援護射撃をして欲しいとメールしてきた。

その展覧会は、わたしも興味があったので、行ったことがあったからだ。

せっかくの休みの日に出かけるのは面倒くさいし、電車に乗って街中に行くのも、なんだか感染症も怖くて、嫌な気分。

母の本音はそんな所。

父上は(最近)どこかに行きたくてたまらない人で、行くとなったら、母と行くのが当たり前(?)になっていて、1人では行きたくないらしい。

私のメールが功を奏したのかよく分からないけど、母は出かける気になり、無事2人で展覧会に行った。

「展覧会行けてよかったね」
と私は後日父上にLINEを送った。

父上の返信はこうだ。
「デパ地下で少し散財しましたが、母にとっても良い刺激になったと思います。支援ありがとう。」

どうです?
行間読みます?(やる気出ない? 私もです)

私の一読目の感想は、またまた上から目線の業務連絡が来た、だった。

デパ地下のお惣菜買いのお金の原資は100%母のお金。父上のお小遣いではありえない。父上がそういうところでお金を使うのを、私は見たことがない。

「散財しました」って、母が(恐らく)喜んで買ったんなら、父上が文句言う筋合いはない。父上は常日頃、「夕飯なにがいい?」と聞かれて「なんでもいいよ」といいながら、テーブルについて、「これしかないの?」というタイプ。超面倒くさい。

このデパ地下云々はさておき、「とっても良い刺激になったと思います」の方がさらに微妙な気分になる。

そもそもこの展覧会に行きたいと言い出したのは、父上である。

母に非日常の楽しい刺激(?)を与えるために出かけるというような、ボランティア感は最初からゼロだ。

1人で行きたくなくて、母を連れ出したという(ある意味)勝手な都合で始まった話。

「母が喜んでいた」「母が楽しんでいた」とか、そういう言葉が並ぶならいざ知らず、「母にとっても良い刺激になった」とは、これ如何に。

まるで母が父上の子供かなんかになったかのようだ。

うむうむ、母に良き刺激を与えられて、わしは満足である。

と言い換えてもいいかも。というか、心の声はこっち?

「支援ありがとう」
はい。業務連絡ありがとう。

父上の上から目線と業務連絡体質のメールを読むと、結局のところ満足できたのは、母を連れ出すのに成功して、ひとりぼっちで展覧会に行かずに済んだことだけ?(1人でトイレに行けない幼稚園児か)
展覧会はどうだったん? どうでもよい内容だったの?

残念極まりない。

行間も読めないし、読みたくなくなる。

本当は何を思って書いたのか分からないけど、常に上から人を見て、「ふん、こんなものか」とばかりに睥睨してるイメージしか伝わらない。

何を偉そうに、このオヤジめ。という反感しか娘の私でも湧かない。

助け舟のつもりで、この上から目線の業務連絡メールに
「どういたしまして。父上は楽しくなかったの?」と私はLINEした。

返信はない。
既読スルーである。

あー、なむなむ。

誤魔化しきれない本音が、私の読み通りだとしたら、自分の父親として本当に悲しい。

業務連絡に、私信は不要というなら、「支援ありがとう」のみにすべきだった。

父上、痛恨のミス。
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【今週の週1チャレンジ】
欲しいもの・やりたいことであげたことをなにか実行する

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