よそ行き顔note
自分が書いたnote記事が嫌いだと、思うことがある。
嘘をつくとか、事実を映えるように盛っているとかは、ポリシーとしてしない。
身バレ防止や、プライバシーのために、正確に書かないことはあるけど、嘘をつくことはない。
どんなnoteが嫌で、自分にうんざりするかと言うと、格好をつけた記事だ。
「いいこと」を書いちゃって、「本当にそんな風に思える? 普段はなかなか思えないよね」と自分でツッコミを入れちゃうようなことを書いちゃう時がある。
希望的観測を元に、希望溢れる記事を書いちゃう。
え? あなたにそんな記事ある?
あるんです、たまに。
その言葉や記事を、ものすごく褒めてくださる方がいたりすると、嘘を書いたわけではないので、後ろめたくはないけど、なんだか居心地が悪くて、よそ行き顔の格好つけ! と思って、恥ずかしくて、私という存在を消してしまいたくなる。
よそ行き顔して、あたかも自分が希望溢れる人間かのように振る舞う。
そういう時があってもいいのかもしれないけど、実際は鬱々としているときに限ってそういう記事を書きがちなので、自分との乖離にもっと泣きたくなる。
よそ行き顔で、厚化粧したお母さんが参観日に来たのを、恥ずかしがる子どもみたいだ。
大概は自分を元気づけるためとかで、悪いことを書いているわけじゃない。
でも、私はそんないい人じゃないし、格好いい人でもないしなと、もやもやする。
騙されちゃだめだよ!
と、私が書いたのに、「続報」とか銘打って宣伝したくなる。
(何をどうしたいのだか……)
よそ行き顔の記事。
きっとnoteを書く誰もが、自分で消したくなるような記事を書いてしまうことがあるのだろうなと思う。
創作活動あるある。
そういう恥ずかしさと、いたたまれなさを繰り返しながら、創作はしていくものだ。
分かってはいるけど、「やっとれーーん」と叫びたくなる。
これを墓穴を掘るという。
【今日の英作文】
彼らは手に負えなくなったペットを山の中に捨てました。悲しいことですが、よくあることです。
They abandoned their pets that get out of control in the middle of the mountains. It's a sad thing, but it's quite common.
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