52ヘルツは誰の声
先輩パートさんが、先日の長岡(新潟)の花火を見に行った。
花火……。
私は花火も、音楽のライブも、フェスも特別行きたいと思わない。 ディズニーランドも、ジェットコースターも、新しい商業施設も。
『52ヘルツのクジラたち』という小説があるけど、皆さんが苦しむほどの共感はできなかったし、素晴らしい物語だとも思えなかった。
私はなにか、変なのかもしれない。
夏だからと言って、花火が楽しみだと思えない。
ライブに行っても、わくわくできない。大きな音が怖いだけ。
拳を突き上げて、周りの人と一体感を味わうことができない。
一日外で遊ぶという概念が、理解できない。
必要なものを買って、必要な用事を済ませたら、さっさとおうちに帰りたい。一日中外にいる必要性が分からない。
人の苦しみを辛いと思う。
辛さを訴える人を見ると、自分まで辛くなって、苦痛だと思う。
ガザの人たち、ウクライナの人たち、ミャンマーの人たち、沖縄の人たち……。
テレビやネットで知る限りしか、私は情報を持たないけど、苦しさにあえぐ人たちを見ると、気持ちが塞いでその重みに耐えられなくなる。
花火。
そう、花火の話。
「そうなんだ。長岡まで、遠くまで行ったのね」
と思ったし、抽選にあたって、すごくいい席で見えたと言うので、よかったねと思った。
でも、私のリアクションは、先輩パートさんが求めていたリアクションとは違ったらしい。
なんというか、不足?
故に不満足?
花火。
テレビでも時々中継やってる。
きれいだと思うし、あの花火は一つ一つを作った人がいて、きれいに真円を描いて打ち上がっているのは、奇跡と思う。技だ。花火職人さんすごいなぁ。。。
なんか、方向が違うらしい。
後輩パートさんが、花火を見ると「感動のあまり涙が出る」「圧倒されて、ものも言えなくなる」「羨ましいなぁ」的なコメントを乱発した。
そっか。
そっちか。
先輩パートさんはすごく嬉しそうで、話は盛り上がることしきり。
私は輪の外。
そっか。
そっちか。
異世界に住んでるみたい。
花火。
先輩パートさんの52ヘルツ。
私の52ヘルツ。
共感できない、溝。音域。
そういうことが、たびたびある。
小説『52ヘルツのクジラたち』も、読んでいて、どうしてそんなに多くの人が痛むような、胸苦しさ感じるのか分からなかった。
私がひねくれているだけなら、鈍感なたけなら、それも仕方がない。
でも、何かが違う気がする。
共感できないことでも、「それで? それで?」と聞いて、ほおほお、と相槌を打つのが、大人なのかもしれない。
私はその前の段階の、「ふうん、そうなんだ」で終わってしまう。
そして波に乗り遅れる。
「え? そういうことだったの?」
そういう馴染めなさが、小さい頃からずっとある。
逆に、私の興味関心について、「へえ」って言ってくれる人は少ないし、やっぱり何か変なのかもしれない。
疲れがたまって、気が滅入っているから、余計に落ち込む。
52ヘルツ。
誰か特別な人の声なんかじゃなくて、誰の声も52ヘルツなんだって思いたい。
【今日の英作文】
よく聞いて。注意散漫なようだから。
Listen up. You seem distracted.
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