心を明るくするもの
ガラス細工のお雛様を、お土産でもらった。
季節の飾りとか、お守りとか、縁起物とか。
埃を被った時の手入れとか、季節が終わったらしまうとかが面倒で、ほとんど置いてない。置きっぱなしでも構わないものしか、置いていない。
お雛様も、飾らないからいらないよ
って言ったのに、箸置きサイズだし、とても綺麗だからと言って、我が家にやってきた。まるで押しかけなんとかみたい。
いつだったか、部屋に生花を飾ることに抵抗があるという記事をnoteに書いた。
私は不精な性格だし、生花はかならず枯れてしまう。だから家の中に持ち込みたくないという話。
季節の飾り物も、忙しさにかまけて、季節外れになっても、いつまでも部屋に置いてあるのは、自分が嫌だし、悲しくなる。
だったら置かない方がいい。
別にクリスマスツリーがなくてもケーキはおいしいし、誰かにもらったチョコでなくても、チョコはおいしい。ケーキ大好き。チョコ大好き。
お雛様がなくても、ひな祭りの時期は巡って、去っていく。
特に必要もないし、欲しくないなと思って、ガラス細工のお雛様のお土産も断っていた。
でも、実際飾ってみた時の、その存在感たるや。
何かわからないけど、その一角がキラキラしている。
そうか。これが大事なことだったのか。
私の父上という人は、クリスマスツリーもお雛様も、家に子供がいなくなっても、子供が飾り付けを手伝わなくなっても、飾り続けているおかしな人だ。お正月には、門松は買えないけど、葉牡丹を必ず買う。
父上の行動が長年、意味不明だった。その飾り物に対するこだわりが特に。ツリーもお雛様も、毎年飾ることで、虫干しでもしてるのかしらとも思っていた。
家に季節のなにかを飾ることは、その季節のキラキラや、その季節らしさを感じる存在をそばに置きたい、ということなのだろうと、やっと実感した。
当たり前のことなのだけど、なくても困らない。けど、あると生活がキラキラして、心が明るくなるもの。
それが季節の飾りや、イベント事なのかもしれない。
なくても困らないもの。でもあると嬉しいもの。
人によってはきっぱり無駄と呼ぶだろうし、確かに無駄なものだ。
人生や生活は余分なもの、無駄なもので溢れかえっていて、それを合理的に整理整頓していくことが大事。ものは少なく、コンパクトに生活するのがいいとミニマリストは言う。生活のコンパクトさは、思考の余裕を生むからと。ごちゃごちゃモノがあればあるほど、思考も整わなくなっていくからと。
私も、住むスペースが限られているにも関わらずモノが多くて、ミニマリストに憧れる。でも漫画も本も買うのをやめられないし、なんやかんやモノは増えていくばかり。
それを後悔するか、やめられるかというと無理。できない。だってほしいもん。
断捨離するかと言ってしてみるけど、減った分また増えていくし、イタチごっこ。
だから決めた。
特段いらないものは、買わない。
今必要としないものは、買わない。もらわない。
それは大事な方針なんだけど、ガラス細工のお雛様を見て、こういうものが逆に、心の余裕や余白を生んで、考え方の幅を広げるのではないかとも思った。
何を取捨選択するかは、その時その時の自分の心に聞いてみるしかないけど、全部いらない! って最初からつっぱねるのは、間違っていたかもなと思う。
ガラス細工のお雛様、とてもきれい。
もうすぐ3月ですよ。ひな祭りですよ。
って教えてくれてるみたい。
心が明るくなる。
【今日の英作文】
「灯台もと暗し」と「木を見て森を見ず」に気をつけたいものです。
Be care that ''it's hard to see what is under your nose'' and ''you can't see the forest for the trees''.
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