「好感度のためじゃないからね」
とあるCMに、こういうセリフがあった。
これを言った芸能人が、そういうタイプの発言をする人で、CMでもいつも通りに言ってるのか、CMを作った会社に言わされているのか分からない。
私は、バラエティ番組を見ないから、こういう類の常識が分からないことも多い。
CMでは、その芸能人が商品を使うことで、ちょっと人のためにいいことができた。便利でしょ。いいよね! という流れのあと、例の「好感度のためじゃないからね」というセリフが続く。
それを聞いて、さっきまで別に、その芸能人の好感度がどうこう思ってなかったのに、この芸能人は好感度がそんなに大事なのかな、好感度を意識して、人に親切にするタイプの人なのかなと要らない想像をした。
好感度を気にしない芸能人(芸能人に限らず?)なんていないだろうけど、あからさまに「好感度のためじゃないからね」と言われると、なんだかがっかりする。
粋じゃない、えげつない。そう思わせるこのセリフは、正直なところ気持ちのいいものじゃない。
別に好感度のためにやってもいいし、勝手にすればいいと思う。でも、いちいちCMを見ている人に言うセリフなんだろうかと思うと、変な気分だ。
知名度のある人が誰かのために何かをすると、売名行為だ、偽善だといわれるけど、別に結果論としてそうなってもいいと思う。外から見た時の見方の問題だから、本人は知ったこっちゃないと、知らんよ。と言ってもいいと思う。
それを、
「売名行為じゃないからね」とか「偽善者してるわけじゃないからね」
なんて但し書きのように言われたら、興ざめ。せっかくの親切、せっかくの善意の行為へのポジティブな気持ちも色褪せる。例え内心「売名行為」とか「偽善」と思っていても、言わないお約束というやつだと思う。
「好感度のためじゃないからね」と言われて、好感度のことが念頭にない人にも、好感度のためにやってるのかもしれないのかという、印象が浮かぶ。
そのセリフで、その芸能人は何が売りたいのか。笑い? もやもや? 失笑? 呆れ? 「それな!」的なもの? やっぱり感?
その芸能人がどういう人なのかよく知らないから、CMのウケがいいのかどうかも知らない。注目を浴びるためだけに、ネガティブな印象すら使うというのは、ぞわぞわする。
それとも、その芸能人は、常日頃からなにかに怯えて暮らしているのだろうかとも考えた。
「好感度のためなんでしょ」という批判をかわすための、先手というか予防線のために、「好感度のためじゃないからね」というセリフが出てくるのだろうか。それだとしたら、とても卑屈で、臆病で、なんとも残念な気持ちがさらに増す。そんな言葉を気にしなくても、私ですら、その芸能人の顔や名前だけは知っている。ということは、今売れっ子で「時の人」なのか、大物なのかということになる。一応の心配は無用と思えるが、例のセリフによっては、謙虚なイメージは生まれない。どちらかというと、逆な傲慢さが見えてくる気がする。
言葉のイメージは、その言葉が持つ力が強ければ強いほど、反射も強い。
本当はどうであっても、「好感度のためなんでしょ」。逆に言い返したくなる。
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