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10代のカルテ。

過去最大に溺れた薬。

通称「72」。

この薬に、18歳の私は身を委ねた。

ある日、ふと処方された 72 に手が伸びる。
これを大量に飲んだらどうなる?
死にはしないだろう。
じゃあどこに行く?
未知の領域に、興味津々。
もし、死ぬことになってもそれはそれでいい。

私は 72 を14錠飲み干した。

数分で、何故かワクワクするような、
アルコールで得られるような、多幸感に包まれた。

あれ?私が飲んだのって眠剤だよね?

それが始まり。

それからは、生きるために飲んでいた。

全てを紛らわせてくれる都合の良い薬。

それが、私の生活の一部になった。

薬が切れたら、おとぎ話は終了。
過酷な現実が待っている。
だから、また飲むのです。

食事?薬の効きが悪くなるので摂りません。

20歳になる頃には、ラムネのように噛んでいた。

でも、不思議なもので、人間±0になるように出来ている。
激しい多幸感を得れば得るほど、現実は苦しくなっていくもの。

それを分かっていれば、乱用することもなかったのですが、若さ故に、それに気付くのは、まだまだ後の話。

72を噛みながら、降り立った地は東京 六本木。

最上階で、シャンパンを飲みながら東京タワーを見つめる。

誰しも幸せな瞬間なのに、私の頭の中は 72 で一杯だったんだ。
皆の目には、綺麗な東京タワー。
私の目には、ただの東京タワー。

私は、自問自答する。
これが、私の見たかった景色なのか。
この問題を解くのに、数年はかかった。

皆は、酷い様だと言うかもしれない。
周りから見たら、今の私より過去の私の方が幸せだったと思うかもしれない。
それはだけは、否定させていただく。

私は今も生きている。
これが結論である。


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