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人生には、美術館と図書館が必要だ。ーArtとTalk 55.ー
皆さんこんにちは宇佐江です。
今回は、愛知県の高浜市にある「高浜市やきものの里かわら美術館・図書館」という施設で過ごした1日をお送りします。
それでは、どうぞ!
(書かれた情報は公式のものとは一切関係なく、宇佐江みつこ個人の体験による感想です。本文はエッセイ形式でお送りします。)
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名鉄の高浜港駅。名古屋駅からここまでは乗り継ぎ含め約1時間。外へ出ると、通行人ゼロの景色の真ん中に「かわら美術館ご案内」の地図があった。
細い道をゆく道中、多種多様な瓦たちが顔を覗かせる。高浜は、生産量日本一を誇る三州瓦の産地なのだそうだ。
ずっと気になっていた美術館だった。
ちょっと遠いなーとこれまで保留にしていたが、ウェブサイトのめちゃくちゃ愛らしいキャラクターがふわふわする楽しい画面を見て行きたい度がぐんと増した。
広報において、デザインの力は偉大である。
入り口の大きなしゃちほこ2匹に迎えられ、建物の中へ。
しーんとしている。休館かなと危ぶむほどの静けさだが施設案内図によると、美術館の受付は2階らしい。移動で疲れたので、まずは館内レストランの「Omi」へ。
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おいしいランチと落ち着く雰囲気に、思いのほか長居した。
ご馳走様でした。
ロッカーに荷物を預けいざ2階へ。
館蔵品展の「美術鑑賞の『さしすせそ』」を観る。これが、小規模ながらすごくおもしろかった。展示をリードするパネルの文章が特に素晴らしく、受付のお姉さんに鉛筆を借りてメモをとる。
「作品」とは、単なる視覚的対象をこえて、内的な思想と外的な価値観が対話する場です。つまり、ひとつの決まった意味だけではなく、いろいろな意味が含まれています。(会場パネルより)
美術を「自由に観てくれ」といっても、最初はなかなか難しい。正解を学びながら生きていく社会の中でぽんと自由を提供されても、
「そうは言ってもあるんでしょ、正解的な意味が」
と勘ぐってしまう。美術に正解はない、という使い古された言葉では納得できない。
自由とは何か、絵をそれぞれの目で観るとはどんな感覚か。
そういう根本的なことをパネル文章で導いてくれると、渋いコレクションのラインナップのひとつひとつが輝いてみえてくる。
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かわら美術館は2階が企画展示室になっていて、3階と1階が瓦を紹介する常設展示になっていた。それらをさらーっと見学し、再び2階に戻って今度は図書館エリア「ほんの森」へと足を向ける。思ったよりこじんまりとした小さなライブラリー。
その中で、1冊のタイトルが目に留まった。
『ひとりで死ぬのだって大丈夫』
著者は緩和ケア医の奥野滋子さん。ひとり暮らしで亡くなる場合の対処法みたいな内容かな?と思ったら、病気になってから最期を迎えるまでのそれぞれの選択とか、長生きや延命だけが価値なのだろうかという問いかけが実例と共に紹介されていた。立ち読みしながら夢中になり、いつのまにか窓際のソファへ移動し巻末まで一気に読んだ。
特に印象的だったのが、著者自身の親戚である男性のエピソード。家庭を持たず、安定した仕事もなく図書館の前で行き倒れて最期を迎えたこの男性に著者は初め虚しさを抱いたけれど、彼が根っからの読書家だと知っていた図書館の司書さんは、「毎日図書館で沢山本を読んでいた。私たちでもあんなには読む時間が取れない。幸せな人生だと思う」と教えられ、受け止め方が変わったという話。
それと、病気でトイレに行くのも困難な高齢女性が自分の意志で、おむつや機械による排泄ではなくトイレだけは自分でと願い、その気持ちを尊重した結果、最期はトイレ中に急変し亡くなったという話。
看護側やご遺族は複雑な気持ちだったというけれど、それはとても尊い選択だし、その意思よりも優先しなければならないものなんて本来ないはずだ、と読みながら思った。
気づけば図書エリアで1時間以上経っていた。
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かわら美術館のミュージアムショップで買い物をし、高浜港までの約10分の道を歩いて戻った。
夕暮れが近づいていた。
生きているだけで偉い。凄い。
年齢を重ねるごとにそう思う。
反面、生きているだけで幸せとは思わないし、生きているだけで素晴らしいとも思わなくなってきた。幸せや素晴らしさは、それが欲しいなら自分で見つけたり、作ったり、出会わなければならないものだと思う。
そのための行動を日々積み重ねて生きている。
例えば私の20代前半は、地元の老舗企業で働き安定した給与が毎月振り込まれ、私という人格を何も知らない初対面の人からも、正社員というだけで社会的信用をある程度得ることができた。けれど自分のやりたいことが何一つ出来ず、休日は寝るか遊ぶかしかしない毎日に疑問を感じて会社を辞めた。
今は非正規雇用ながら、大好きな職場に長く勤め、平均的な正社員よりも給与は低いが多めに取れる休日は、作家として活動できている。先日はとあるビルの受付に半日滞在し、そこに勤める架空の人物になりきってそれをネタに漫画を描くという、謎の連載仕事をした。休憩時間はそこのスタッフさんたちと同僚気分で近所の日替わり弁当を食べた。談笑中、近々転職するというスタッフAさんが、
「私、もっとバリバリお金を稼ぐ仕事がしたいって、気づいたんです」
と言い切ったのがとてもカッコよかった。
このまま名古屋に戻ることもできるけれどあと数駅で、もうひとつ美術館に行ける。藤井達吉現代美術館。展示の少ない時期だけれど、リニューアル休館が明けて以降行けていないから、建物だけでも観に行こうか。
結局、名古屋とは逆の電車に乗った。
美術館は外観だけでなく展示室もきれいになり、図書の部屋が新しくできていた。そこに、自分の携わった『ミュージアムの女』の本が配架されているのを見て、この嬉しさのためだけでもここまで来て良かったと思った。
なんだか味わい深い1日だったなあ。
暮れゆく街が、美しかった。
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(写真/©宇佐江みつこ)
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今週もお読みいただきありがとうございました。
今年も宇佐江noteをよろしくお願いいたします。
◆次回予告◆
『ArtとTalk 56.』東京美術館巡り。
それではまた、次の月曜に。
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