パソコン最高峰の仕事を通り抜ける
こんばんは。
キャリアって何なんですかね。
このノートを見てくださってありがとうございます。
ようやく入れた花形の部署は、当時のパソコン関係の部署でした。
携帯電話やパソコン、その他周辺機器にまつわるマニュアルやカタログ、Webなどに関係する人々が一堂に会していました。
自分の仕事はその人たちの間に立ち、メッセージや情報を揃えたり、人で必要な個所に制作やディレクターとして入ったりしていました。
しかし、プラットフォームとなった自分のチームは、裏方のチームで、助けてくれた上司のすぐ下にいて、次の製品のことをあれこれ考えていました。
英語で学んできたテクニカルライティングでしたが、もちろん翻訳の専門チームがあり、日本語ライターがいる中で、会社が関わっていた日本語のテクニカルライティングの外部組織にも近くなり、高品質の成果物をつくるにはどうすればいいか、その空気に触れながら考えるようになりました。レイアウト構成や言語の楽しさは続いていました。
Webにもカタログにも、マニュアルにもソフトウェアアプリにも関わる、製品の企画にも関わる、こう振り返ると、自分の得意、不得意の両方が混在する職に就いていたことに気づきます。
Webカタログと紙のカタログはいつもマニュアルの記載と連携しながら、関係する自社他社のマーケティングにもとづいてアイデアを出す必要があり、さらに制作にあたって、はさまざまな撮影やクリエイティブな作業がたくさんありました。あるいは、ユーザー顧客のことを考えたりテストしたりもしました。周囲はベテランでしたが、自分にはすべてが新しく面白い仕事でした。
得意は新しいアイデアを生み出したり、人の間にはいってつなぐこと、不得意は詳細にわたるデータの検討。
どちらも必要でした。
ただ、代わりにやる人はいました。自分はできることを無理せず、当時の置かれた仕事を、楽しんでいたと思います。もちろん、人間関係で、気を遣うことや、同僚が友人には決してならないことなども学びました。
でも、まだ次の夢がありました。次にどこに行こう。前任者など先に優れた力を発揮していたベテランは、次々に退職して、自立していたものですし、そこは「フリーのプロになりたい」の通過点だと感じていたからです。
先に退職して自立した人たちと同じ道を行こうとは思っていませんでした。
どこか… 外の地へ。以前からこころに持っていて行けない海外へ飛び出したい。そんな気持ちがありました。
・・・ つづきはまた。
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