チェロをやめたけどまた弾き始めた話

こつこつ

大きいことをやってみたいとは思うものの、大きなプロジェクトは荷が重すぎる。プロジェクト自体の大きさよりも、それに見合った自分でありたい気持ちが大きい。ということで、僕はこつこつ仕事と勉強と練習をしている。

それで、いつか大きなことをやってみたいというのではない。
そうではなくて、コツコツと積み上げた結果として辿り着いたところが、多分重すぎることなく取り組むことのできる僕の舞台になるのではないかと思うのだ。

チェロが楽しかった、そして終わった

チェロを18歳から初めて31歳まで、13年間ほぼ毎日弾き続けてきた。後半の六年はプロの先生について学ぶこともできた。学生オーケストラ、市民オーケストラ、音大オーケストラサークルなどでも活動できた。公開講座でバッハを人前で弾いたこともある。発表会ではハイドンやボッケリーニのコンチェルトも演奏した。

でも、一区切りがついた時さっぱりと弾かなくなってしまった。先生が導いてくれる世界に興味がわかなくなったんだと思う。この先生に就いて、自分が身に付けられるものはもう無いのだだと感じた。その先生に長く習いすぎたのかもしれない。

「どうやってさらに確実に上達していけばよいのか見えない」という気持ちからレッスンをやめたので、チェロを触る気持ちがなくなった。それだけでなく、クラシック音楽全般に興味がわかなくなってしまった。
内心では、きっと傷ついていたのだと思う。チェロと、この先生と、もっと遠くまで飛んで行けると思っていたから。自分が期待していたところよりもずいぶん手前で着地してしまったのだ。

チェロの先生のこと

先生に対する、嫌だった記憶を吐き出したい。
私が音大サークルで弾いていると言ったら「みんなは迷惑していないですか?」と失礼なことを言ったこと。そう思っているなら、失礼にならないよう技術を身に着けさせるのが先生だろうが。(そのオケではグリーグのピアノ協奏曲をトップで弾く経験ができた)
七年も習ったのに、結局協奏曲を弾くような技術を体系的に身に着けさせてくれなかった。これは、先生自身に、それが身についていなかったのだと後から気づいた。「体系的に」身に着けたかったのだ。かろうじて弾けるというのは望んでいなかった。

この先生は、一言でいえばいい先生だった。教え方も整っていて、頭が良かったし、誠実だった。チェロと音楽の基礎をしっかりと身に着けてくれた。でも、私は向上心が強かったため、先に進むための指導ができないという点で、最後の時期、先生がとても嫌になったのだ。これ以上は教えられないなら、そう言ってくれればもっと気持ちが楽だったように思う。ずるずると数か月、進まないレッスンを続けて、やる気も失って、お金と時間だけが浪費された。これが、悲しい終わり方だったなと思う。

チェロのその後

チェロに関しては、その後、英語のサイトで非常に有益な情報を見つけた。音大のシラバスと、教育方針を紹介しているサイトだ。このサイトは、学生がプロのチェリストとして卒業までにどのような学習過程を辿っていくのかを説明してくれていた。助かったのは、どのエチュード集をどのような順番で進めて行けばよいかという具体的なルートを示してくれていたことである。
今は、それを参考にしつつ、デュポールのエチュードをこつこつ進めている。いつかポッパーまで進みたい。

また、一年間程音楽から離れていた期間があってからギターを始めた。最初はアコースティックギターを少し習い、今はクラシックギターを始めて一年がたった。そしてクラシックギターの先生がきっかけで、バイオリンとギターとチェロのトリオで来月演奏会を開くこととなっている。バイオリンは、アマチュアオーケストラでコンサートマスターを長く務めている人で、すごく上手。楽しくチェロを弾く場所がまた生まれた。

手放せばまた新しく出会えるというのは本当にあるのだなと思った。

ということで、出会いを大切にして、自分の気持ちに素直に。
こつこつ取り組み続けてれば、そのうちまたいい出会いがあると思う。

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