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25歳で伝統芸能の剣舞で起業。周りが反対する中、テレビや新聞掲載多数の専用シアターの開業。

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新連載【オハイアリイ〜自分らしさ〜】
いま注目したい、多様な女性の生き様に
女性執行役員 藤井が本音で迫ります。
現在24歳、社会人3年目となる藤井ですが、キャリアに対するさまざまな疑問と不安を抱えています。キャリアについての悩みは共通テーマだと考えております。そんな私と同じ悩みを持つ方々に、同じ女性として、本音かで生き様・生き方について迫り、新たな考えを知るきっかけを提供したいと思います。
皆さんのライフワークについて考えてもらえるきっかけになれば嬉しいです!!それでは、一緒に多様な働き方を探求していきましょう!

今回の案内人

鉤 逢賀(まがり おうが)さん
株式会社吟舞 代表取締役・正賀流剣舞師範。
剣舞流派「正賀流」の家に生まれ、25歳のときに「広める」ことに開眼。京都市内で常設の剣舞体験・演舞場「サムライ剣舞シアター」を運営。海外の方を含め年間2万人の方が訪れる文化体験施設として注目を集めています。

2024/1/23の記事です。


吟舞とは?


吟舞(ぎんぶ)とは、日本の伝統芸能である剣舞・詩舞(剣詩舞or吟剣詩舞)の別称です。古今東西の漢詩・和歌の詩吟に合わせ、刀や扇を使って舞います。江戸時代までの武士の生活様式・美学を基に、明治初期に最初の創流期を迎え、現在は全国で100以上の流派があるといわれています。

和文化教室「ぎんぶ」

幼少期:剣舞流派の一門に生まれる


鉤(まがり)さんは祖母・正滋(せいし)さんが正賀流の宗家であったため幼少から剣舞を始め、7歳の頃から舞台に立つようになりました。

鉤:父は会社勤めをしながら、平日夜や土曜日に公民館などに行って剣舞を教えていました。宗家や流派というと大仰に聞こえがちですが、例えるなら「自転車好きのお父ちゃん」のような感じのほうが分かりやすいかもしれません。そんな父の方針で、私は厳しく稽古させられることはなく、ただ教室に連れられていました。

小学生:剣舞との距離感


鉤:小学校高学年、友達には基本的に剣舞について理解してもらえませんでした。面白さもなく、古くさい部分もあり、剣舞に対して距離を感じていました。週一回ほどのお稽古教室にとりあえず通っているくらいの状態でした。

大学生:転機


ーサムライ剣舞シアターは、元々ご家族でされていた事業ではなかったのですね。

鉤:そうです。自分で思いついたものです。
宗家二代目である父は教室をもっと大きくしたいという気持ちを持ちながらも、どうせ無理だと思ってしまっていて「剣舞を一生懸命してもどうしようもない」と言ってしまうこともありました。私も剣舞に対してそのスタンスでした。

転機は2008年の大学4年生のこと。
自宅近くでカルチャーセンターの講師募集があり、剣舞教室を始めたことでした。その時初めて剣舞に触れた60代のお弟子さんが「こんな素晴らしい芸能があるなんて、もっと早くに知りたかった!」と言ってくれたことが嬉しくて。それなら知ってもらう活動をしなくちゃいけないと思ったことが、最初のきっかけです。ただ、どうしたら知ってもらえるのか分からず模索していました。

就職:剣舞のビジネスモデルが生まれる


鉤:大学卒業後、一旦大手メーカーに就職しました。その企業の制度に「中小企業診断士」の資格を取ると、資格手当(1万円)がもらえたのです。手当がもらえ、尚且つ経営の勉強もできるのでお得だと思い、試験勉強を始めました。
中小企業診断士の参考書には経営の基礎が載っており、勉強するうちに「これを剣舞に当てはめたらどうなるんだろう」って思い始めたんです。思いついたが最後、教科書に書いてあるいろんなモデルを全部当てはめたら、インバウンド訪日客向けの剣舞体験のビジネスモデルができていました。思いついたなら、もうやることしか頭になくて。

25歳:説得・剣舞のビジネスとしての挑戦


家族の説得

鉤:ある程度準備が整った状態で「とある発表会をさせてください」と家族に連絡をしました。

ー反応はいかがでしたか?

鉤:まず反対はされましたね。今の仕事を辞めることにもなるので、私の生活に関する心配から始まりました。
私も親の考えがよく分かるだけに、覆すことがいかに大変かを知っていました。どんな話を持っていけば親が納得してくれるか、こういう例え話や事例が良いのではとものすごく考え、やるべき理由を全て用意していました。

「そんなん成功するわけないやん」
「定期的に通ってくれる人に教えるのが剣舞」
「1回しか来ない人に教える意味とは何か」
「他の流派さんに知られたら困る
(イレギュラーのため)と次々言われました。

最終的に「25歳から30歳になるまでの5年間、このことだけを頑張ってみて、あかんかったら30歳のときに再就職したらいい」と提案し、ここで親の説得は済みました。この事業の意図は、剣舞に対しての間口を広げることです。

剣舞ビジネスの開拓と挑戦


鉤:教室で習っていたお弟子さんに広告塔になってもらおうと考え、チラシを作り、1000部印刷、そしてそのお弟子さんに事業の説明会を行いました。

ーそのお弟子さんもやらざるを得ない状況ですね!すごい突破力。その方はどんな方だったんですか?

鉤:今も一緒にやっていますね。そのとき37歳あたりなんですけど、「40歳までに正社員にするから、それまでアルバイトで手伝って!」とお願いしました。結果的にすごく一生懸命やってくれて。
それで1件,2件と申込みがきました。1件来るということは3件,5件,10件と来ることを確信しました。1件目が入ったときには、まだ会社に勤めていたので「今日はどうしてものことがあってお休みします」と言い、無理矢理お休みしました。その後すぐに退職を申し出て、入社をして1年半ほどで退職しています。

ー申込のあった1件目のお客様のことは覚えていますか?

鉤:覚えています!ドイツの30代の男性お一人でした。申込みのメール通知がきたときの感動は今でも覚えていますね。

29歳:リスクを負う覚悟


ー事業をされてきた中で大変な時期は?

鉤:最初は実家の道場で事業を行っていたため、賃料もかからず、衣装はあるものを使い、ある意味ノーリスクでした。しかし、29歳の時、京都に移転することを決意しました。賃料や給与などで毎月百万以上の経費が必ずかかることに対して、リスクを負う覚悟を決めなければなりません。
シアター開業後の1~2年間は、がむしゃらに働き毎日終電で帰っていました。

ーその数年は何をされてましたか?


鉤:スタッフの育成と、品質チェック、あとは給料計算をして支払わないといけなかったり。改めて人の人生を預かる側になったのだと自覚しました。

会社では全てのことが自分の決断で決まります。これはものすごい体験です。
印象的なのは、京都のシアターができて半年ぐらい経ったときに、1年前の自分の写真を見たんです。大津でお客さんに接客している自分の姿でした。1年後の自分から見たら、それがものすごく子どもに見えたんです。
何も考えておらず、ちょっと好きな英語を使って剣舞を教え、無邪気に喜んでる顔をしていました。この1年間で私の顔は大きく変わったと、鏡を見ても思いました。

英語力もなぜか急に伸びたんですよ。それまでは体験指導に必要なことだけを言っていました。そこから特段勉強したわけでもないのに、海外の旅行会社と様々な交渉や打ち合わせをしている自分がいたり。できるはずなかったことが急にできるようになったというのは、立場の必死さからくるものだったと思います。

ーこの数年がまがりさん自身を育ててくれたと言っても過言ではないということですね!

鉤:それまでは「実家を継いで新しいことを始めました」くらいの話でしたが、気持ちが切り替わり、特に頑張った数年間でした。その後安定し、結婚もしました。


現在:成し遂げたいこと


鉤:剣舞を誰もが知っている芸能にして、その世界観を共有し、どこでも習えるようにしたいです。最近ヨガを習いはじめたのですが、元はインドの宗教的行法であったものが、宗教さを取り払いつつ東洋的な雰囲気を持ったままエクササイズとして世界中に広めることが出来た仕組みが気になります。あとは空手やピアノなども習い事ジャンルとして成功していますよね。剣舞はパフォーミングアート(芸能)なので、それぞれ一様に比較することはできないのですが、なんとかしようという思いは、剣舞界では私が一番強いと感じています。

これが私の仕事だと捉えています。その時点で、自分の仕事に絶対終わりが来ないと思っています。終わりが来たらむしろ嬉しい!
誰でも、そういうものを作れると思うんですよね。大きすぎる目標を作っておけば、永遠にステップアップすることができます。全部が楽しくて、途中で飽きることもありません。もし、一時的に飽きたとしても夢が大きいため、また戻ってくることができます。大きな意味でのゴールがあること=幸せだと私は思います。

ー大きな目標があれば、何をやっていてもそこに立ち返れるルートになりえるということですね!それを掲げていること自体が幸せということですね。

剣舞じゃないといけないのか


鉤:考え出したらきりがないですね。ただ、別に何でもいいと思うんですよ。好きな対象物というよりは、世界観みたいなものであれば、おそらく揺るがないはず。

ー世界観って例えばどのようなイメージですか?

鉤:例えば、みんなが優しい気持ちになれる世界がいいなって思うなら、それが一生の目標になりますよね。それが前提にあり、その上で何するかみたいな。
私なら和文化全体。剣舞じゃなくても日本の風景、自然、感性などが残っていけばいいな、という漠然とした思いがあります。

ー自分が何に心地いいとか、普段の生活から自然と選んでしまってるものから考えてみると、見つかるかもしれませんね。

読んでいるあなたへ

自分ならではの一生懸命を見つける


鉤:私は20代のとき、流されて生きるのではなくて、自分の人生を一生懸命生きると決めたんです。その一生懸命っていうのは人それぞれです。それを前提に考えていたら、自分にとっての一生懸命がどういうことかを考え続けることができます。何がきっかけで見つけられるのか分かりませんが…それを若い頃からできると良いですね。

ーめっちゃ知りたいです!流されて生きてる人の中でも、一生懸命になれるスイッチのようなものを、みんな探し続けているのではないかと思います。

鉤:よく「まず目の前の仕事を一生懸命やりましょう」って言われるじゃないですか。「石の上にも3年」とも言われますが、3年は長いと思います。(一所懸命やっても一生懸命にはならないというか。)一生懸命やるんだったらしっかり3ヶ月くらい頑張ってみることで、判断をするには十分な期間だと思います。

ー私も3ヶ月で以前の職場を退職しています。「こんな人がいるんだ!」とワクワクして、学ぶことを求めていたので職場に尊敬できる方がいなかったということが一番の理由でした。

鉤:就職に関しては、いわゆるタイパ(タイムパフォーマンス)が良いかどうかを確かめてほしい。どんな職場でも、いる以上学ぶことがゼロとは言わないけど、これだけの期間勤めて学べたことがこれだけかなのか…とならないように。今自分がいる場所に刺激的な分量の「学び」があるうちあれば、続けたほうがいいと思うんです。

専門性を高める


鉤:早い段階から自分が成長でき、専門性を高めることは大事だと思っています。世間的に見てわかりやすい専門家じゃなくても、この分野だったら負けないと言えるものが、今いる場にあるかどうかを探すこと。

ーまさに今思います!自分のことを言われているのかと思いました。
専門性を身に付けると生きる術にもなりますし、頑張る方向性が決まります。ただ、その方向性が難しいですね。

鉤:自分の体験で言うなら「中小企業診断士を受けてみてはどうですか」と勧めますね。テキストを読み、試験を受けてみるぐらいの勢いでしっかり勉強をして。自分に置き換えたときに何か思いつくかもしれません。多分皆さんも置き換えられる何かがあります。私のこの体験は将来を迷っている人にとって面白いかもしれません。

まがりさんにとっての一生懸命とは


鉤:年齢によって変わると思いますが、
昔は仕事を一生懸命頑張ると言っていました。

ーなぜお仕事なのでしょうか?

鉤:生まれた年の前年に男女雇用機会均等法ができて、何となく家庭におさまるのがかっこわるいと吹き込まれた世代だからかもしれないですね。私はそうはならないぞと。キャリアウーマンが活躍する時代でもあったので。何かしらについて自分の考えていることを発信できる立場の女性になるというのは、25歳ごろの私の1つの目標でしたね。

商い=飽きない


鉤:基本的に飽き性なんです。就職する前から、会社勤めで会社の歯車として働くのは、自分には向いていないのではないかと不安を持っていました。案の定、部署替えの習慣がない会社に入ったこともあり、職場に20年後、30年後の自分(=上司)の姿があって、これかぁと…。会社員になれるかどうか確かめたい気持ちもあり就職しましたが、やはり想像通り厳しくて。

ちなみに、会社員時代のことで未だに申し訳なく思っているのは、新卒でメンターをしてくださった先輩女性社員の方に「会社にきて毎日仕事をすることにどういう意義を感じていますか?」「毎日何を考えて生きてますか?」と大変失礼なことを聞いていたことがありました。新卒ならではの、何を聞いても許されることに甘えての質問でしたが、「単に生活のための職場」と割り切っているタイプの方だったので、めっちゃ困っていましたね。

そして「社長業」の素晴らしさに気づいちゃったんです。ありとあらゆるビジネスのことや人間力を磨くこと、全てのことが勉強になります。毎日新しい勉強ができ、なんでもできます。商い=飽きない ですね!!

鉤:焦って早く独立したいと考える必要はないです。私は会社運営して10年目になりますが、最近になって初めてサラリーマンを続けていたら良かったと思った出来事があり、それは数億、数十億単位の大きな金額単位での仕事経験がないことでした。経営者になれば誰も責任持って教えてくれる人がいないんですよ。会社で勉強したことは、やはり経験として活かせることも多くあります。また長い人生の中で、やりたいことは社長業だけではないということに気づくこともあります。

ー他にも選択肢はありますからね。責任もありますし、社員さんがいらっしゃるのであれば、一生担っていくのかとなったときに…。道はそれだけではないですもんね。

鉤:やっぱり性格的に物事に飽きちゃうんですよね。飽きてきたら、新しい事業を考えてみたりもしますが、それすら飽き始めてるところがあって。40歳頃になれば、人生も長くなってきてみんないろんなことを思うし、私は好きなように生きればいいと思います。

今25歳の方には、まだそんな話は何も考えなくていいと思いますまずは自分探しをして、そのまま突き進んで、達成してから、また別の悩みが来るから、それはそのときに悩めばいいと思います。

先にやりたいこと見つけるか、
見つからないなら、とりあえず目の前のことを一生懸命やる中に学びがあるかどうか常々判断し続けて、学びがないなら環境を変える。

それを繰り返す中で、自分が得意なことを探すということを30歳くらいまでは、絶対した方が良いと思います。

場所について

場所については、鉤さんに「お気に入りの場所」を選んでいただきました。

📍カフェ・ベローチェ烏丸蛸薬師店

選んだ理由について


空間の広さが感じられるデザイン性のある建物が好きです。(なので京都駅も好きです。)適度なざわめき(喧騒)があるカフェの方がお話ししやすいかなと。お値段もお手頃です。

編集後記


鉤さんからお話を聞いてみて

取材時間はなんと2時間30分…ここにはまとめられなかったお話がいくつもありました。話の最中「〇〇さんに伝えたい」と、いくつも知り合いの顔が浮かんできました。絶対読んでもらいたい!という思いから、できるだけ鉤さんの言葉を伝えきるよう編集をしました。

経営者、正賀流剣舞師範だけではなく、2児の母として子育てもされている鉤さん。25歳で事業を始めることを決断し、一生懸命に剣舞界の未来のため"仕事"をされています。カッコイイ!

「専門性」を身につけるという話がありましたが、それは人生の中でのブレない軸を見つけることでもあると考えます。

頑張りたいものが見つからないという方へ。
実は身近に自分の人生を変えるきっかけがあることを、自分自身が信じていないのかもしれません。機会は平等に巡ります。その出来事に手を挙げ参加し一生懸命取り組む。それが専門性や軸を見つけるヒントになるのではと思います。

長時間取材にご協力いただきました鉤さま、
ここまで長文を読んでいただいた皆様、
ありがとうございました!

次の記事でお会いしましょう♪


インタビュアーについて

髪の毛切りました

藤井真鈴(ふじいまりん)1999年生まれ
株式会社イザン・執行役員/女性初3D撮影技師

幼少期に琵琶湖で溺れて死にかけた経験から、悔いのない生き方について考える。新卒入社した企業を3ヶ月目で退職し、ユニークに働くためイザンに入社。多様なキャリアを考えるきっかけづくりに専念。長期インターンシッププログラム「たいせつアーカイブス」運営。

Linkedin(毎日更新してます)について 

鉤逢賀さんについて


体験教室、オンラインレッスンもされています!
•サムライ剣舞シアター
•株式会社吟舞

•各種SNS
•Instagram(@augamagari)
•note(auga_magari2010)

株式会社イザンについて


株式会社イザン
「Be unique!」をテーマにメディアテクノロジー事業 と旅応援事業を展開。コロナ前からオフィスレス。それぞれのユニークを大切にする、ちょっと変わった会社です。


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