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性別について

こんにちは!ウルです。
僕は今の今まで、性別というものに執着してきた。

が、正確に自分の性別を表現する言葉というものはわからない。
簡単にいうと”中性”。

ただ、女性の身体が嫌なわけではない。
現に僕は結婚して、可愛い娘も2人いる。夫は、男性。男性を男性として生きてきた男性。

ただ、自己紹介にも書いたのだが、僕の夫は、ウルだとかまる☺︎だとかそこが「好き」と直結しているわけではないことをずっとずっと表現してくれている。

だから、今の僕は、救われている。
もちろん、僕も夫が大好きだから。

男と言う前に、夫は夫であり、女という前に私は私だからだ。

§子供の頃の混乱

僕は、幼い頃から小さな混乱を持っていたことを最近自覚した。

それは、僕たちが小学生中学生の頃は、フォークダンスを運動会で踊るのがまだまだ多かったと思う。
そして、僕の通っていた学校は田舎で、男子よりも女子の方が多かった。
だから、背の高かった僕はいつも男子役だった。
もちろん、僕の身体は女性。
いつも言われる言葉は「女の子なんだから」「女子だから」「お姉ちゃんだから」と身体的な特徴である「女性」ということを理由に、スカートをはかされ、足を閉じろと注意をされる。
第一人称は「わたし」でなければならない。

でも、フォークダンスは男性役だ。
日常生活では「僕」という表現さえ、許してくれないのに。
男子の数が足りないから、背が高いから、男子役へと回される。

そして、僕の頭は混乱する。


僕は、2人姉妹の長女。父は田舎のちょっと大きな家柄の長男。だから周りの大人は「〇〇ちゃん、お婿さんを迎えんとね」「〇〇ちゃんは〇〇家の跡をとらんとね」と言われていた。

多分それは「こんにちは!今日もいい天気ね。」くらいの決まり文句のような、挨拶のようなものにしか過ぎなかったのかもしれないが・・・。

発達障害という言葉も浸透していない、30年前の田舎の田舎に、僕が「僕」を表現する場所なんてなかったのかもしれない。

確か、小学校中学年くらいの時に「オレ」を自分を表現していた僕がいる。
必死だった。
でも、それは子供の中だけで。大人の前では決して見せない僕だった。

§女の子でなければ、よかったのに

「女の子でなければよかった」そう思うことは、多々あった。

「長女だから、婿を取らないとね」
「女のクセに」
「女の子なんだから、女の子らしくしなさい。」

そいう言葉が、大嫌いだった。


極め付けは、クラスのほとんどの女子から無視をされるといういじめと、男性教師からのストーカー。
この二つは、本当に女性である自分が嫌で嫌で仕方なくなった出来事だった。

「身体機能が女性」というだけなのに。それであるがために、辛いことはたくさんあったように思う。

しかし、だからと言って、男性の身体が欲しいわけでもないし、「女性だから」が全ての原因でもないことも理解はしている。


身体機能の男性、女性で、精神面や振る舞いを矯正されたり、それによって攻撃されるのは変な話だということを言いたい。


ウルはウルだ。そして、まるはまるだ。
そして、僕は僕で、私は私で、あなたはあなたで。

ただ、それだけでいいじゃないか。

と、叫んでいた幼い頃の僕がいる。
これを昇華してあげたい。

もう大丈夫だよって言ってあげたい。


ただ、身体的特徴の男女で、縛られ過ぎた幼少期から青春時代を簡単には昇華できないから、今も、ついつい、そこに執着し、突っかかっていってしまう僕がいることは認めることができた。


性別ってなんなのだろうか?
そんなに重要なことなのだろうか?

性別の前に人は人なのに。
そう、わかっているし、そう望んでいる僕なのに。


過去の出来事でついてしまった傷はまだまだ色濃く残っているようだ。

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