◇はじめて台本を書いたハナシ。
生まれて初めて、声劇台本を書きました。
というか、フィクションの物語を初めて終わりまで書きました。
note民や小説民からすれば少なく感じるかもしれませんが、
およそ8500字のお話です。声に出して読むと40分くらいの尺です。
こちらがその台本です。
初めて、創作を「完結させた」喜びを語りたいと思います。
いわゆる、書ける人にとっては、他愛のないことかも知れません。
もしくは、「わたしも最初はそうだったな」と思うかも知れません。
長年「できない」と思っていたことが、「できるようになる」のは、
素直に喜ばしいことだと思いました。
「私には、書けません!!!」という苦悩をそのまま物語に。
台本を先に読んでもらった方がいいかも。読むだけなら10分です。
「書けない人が、周りの支えで、書けるようになるおハナシ」です。
まさに私の精神状態そのものを書きましたので、かなりリアルです。
ゼロイチ創作ができないというコンプレックス。
生まれてこのかた、創作を【完結】させたことがありませんでした。
もしかしたら似た悩みを抱えている人もいらっしゃるかも知れません。
過去を遡れば、プロローグや設定だけ書いて、あとのページは真っ白!
そんなノートを実家にたくさん生み出しました。もったいないですね。
竜頭蛇尾どころか、竜頭虚尾のノートが失敗体験として積み重なり、
いつしか、創作そのものを諦めるようになっていたんですよね。
憧れはふくらむばかり。
諦めても、憧れだけは無くなりませんでした。なにせ私は演劇好きです。
映画、ドラマ、アニメ、マンガ、演劇、脚本、小説、ゲーム、などなど。
物語を感じたり浸ったりしている時間がいちばん楽しいのです。
創作はできませんが、物語を演じることで、創作欲を満たしていました。
おかげで「作家様」という人種にとても強い尊敬の念を抱いています。
男の人に特に多いんですけど、ストーリー批判している人を見かけると
「じゃあ自分で書け」と内心ブチギレです。書けるだけですごいのに。
もちろん私にも「なんだかなぁ」と思う作品はたくさんありますけどね。
ただ「求めてる養分がちがうんだなー」と思います。好みの問題。
創作について無意識に学んでいたコト。たくさん。
私はついつい、芸術関連のHowToや解説動画や講座動画を見ます。
イラスト、マンガ、歌唱、音響、映像、脚本、デザイン、広告――
演技の動画は調べないんですけどね。というかそんな動画あるのかな。
絵師さんから聞いたハナシ
そんななかストーリー創作について印象に残っている手法があります。
「幸せを失い、プラスを得て、帰って来て終わる」という手法です。
ゆるい生きものと戦車が好きなイラストレーターさんが言ってました。
消えた兄を探すなら、兄プラス勇気を得て帰って来るとかです。
ハガレンは喪って、成長して、取り戻して、元の生活に戻りますよね。
ハッピーエンドのコツだとも言ってました。逆はバッドエンドですね。
ゲーム製作者さんに聞いたハナシ
また別の人からは「書ききるまで振り返らない」と聞きました。
短編ビジュアルノベルゲームを何本も作っている作家さんの言葉です。
私が「この部分とこの部分の意味が掛かってるのがすごいです!」と
送ったら「考えてませんでした!」と返ってきたのが印象的でした。
そんなに考えずに勢いで書けるのスゲーッ!!と思いましたね。
芸人さんから聞いたハナシ
それから、どなたか芸人さんが話していたエピソードなんですが、
「ある映画で、俺は『よう分からんなぁ~』って思たんやけど
となりのおばちゃん見たらボロッボロ泣いててビっっクリして、
思わず『どういうとこが良かったんですか?』って訊いたら
『わからん…。わからんけどなんかええなぁってなったんよ』
って言うてはって、『辻褄とか考えるんは野暮なんやなぁ』
って思ったんや。ふつうの人は細かい内容なんか覚えてへんねん。
それでも『おもろい』って感じたら満足できんねん」
という話が印象に残ってます。
「得て、戻る」
「終わってから考える」
「あれこれ理由を並べ立てるな」
「話がわからなくても面白くはなる」
これらを肝に銘じながら書き始めました。
それらを実践してできたのが、初めての台本でした。
「私には、書けません!!!」が、失った状態。
正確には、マキ部長がコンプレックスを突き付けることで、
リンダに足りない状態と葛藤を表面化させたんですよね。
また、部長にとっても、自分がもどかしい。リンダを育てたい。
などの葛藤と欲求が生まれている状態です。
ま、そんなこと書き始めたときには考えてないんですけどね!
最初に「書けない人が、書けるようになるおハナシ」
ということだけ考えて、向こう見ず見切り発車しました。
書く前はぜんぜん違うストーリーをイメージしてました。
当初は、
・部員との会話に創作のコツを散りばめる。
・リンダが就寝後に夢の世界に入り込む。
・夢のなかで成長し、日中の会話も思い出す。
・夢の話をファンタジーにして台本を書き上げる。
という方向性をぼやぁっと見ていました。
なので当初の仮題は『リンダとふしぎな森』でした。
『マキナージュ』というウサギが、
「お誕生日パーティーのサプライズが思いつかない!」
という悩みを抱えて現れ、リンダが手助けするという夢。
「この子、私に似てる。けど、部長にも似てるんだ……」
というセリフを言わせようとしていました。
めっちゃ喋るやん。こいつ(登場人物)ら……。
ところが、いざ書き始めてみると、放課後が終わらない…!
4人登場させたのも原因ですが、なかなか会話が畳めません。
そもそもリンダとマキは完全に私自身なので、延々に喋ります。
しかも両方カタブツなので、一歩まちがえると退屈な会話になる。
導入はとにかくテンション高めを意識して書き進めました。
後半のキャラクター性と若干ズレますが、考えなくていいんです。
それから暗い部分を一気に説明して、空気を砕いて次の会話へ。
なごまし担当が、めっちゃ仕事した。
これがいちばんのうれしい誤算でした。ニコルがめっちゃ働く。
カタブツの2人とはまったく異なる、直観型の2人を絡ませたくて、
ゆるふわなニコルと、おれバカなテラを登場させたのですが、
2人がここまで重要なファクターになるとは思っていませんでした。
とくにニコルは、カタい会話を和ませるためだけに差し込んだんです。
おとぼけているようで、人の感情に対する勘が鋭いキャラクターです。
「根拠ならあります!」こんなに、ちぐはぐなのに真っ直ぐなセリフ。
言い放ったときは、私がいちばん驚きました。言うと思ってなかった。
というか、リンダのリアクションが、そのまま私のリアクションです。
ストーリー上で起きたアクシデント。
そもそもニコルがあそこで登場する予定はありませんでした。
リンダをなんとか帰宅させて、さっさと眠らせることが目的でした。
ところが、テラのキャラクターと、リンダが抱くコンプレックスとの
対比を見せるために会話が長引いてしまった結果、
「やば。さすがに部長とニコルが戻ってくる……。」と焦りました。
しかも「ここで部長と会わせるとリンダの状態に都合が悪い」です。
なのでまずは、部長が、黙ってどこかに行ったことにして、
とりあえずニコルを登場させました。だからそのときは、
「あれ?部長は?」のあと「お手洗い、ですかね?」とか
辻褄の合わない会話で誤魔化して進めてたんですよね。
ニコルが現れたのは偶然で、やむを得ない誤算だったわけです。
テラだけだと役割が不足していました。
リンダにとってテラはコンプレックスのひとつでもあります。
夢の世界で『ステラ』として登場し『マキナージュ』とリンダが
チカラを合わせて乗り越えるためのライバル役になる予定でした。
けれど、すでに台本として20分以上経過しているのに、
いまさら夢の世界で、改めてストーリーを展開する尺はありません。
90分尺の台本なんて書きたくないので、放課後で畳むことにしました。
そのためにはリンダの心を動かさなきゃいけないのですが、
テラの言葉がリンダに届かない……っ!
そもそもライバル関係だし、リンダの心に寄り添ってはいないし、
リンダをなんとかしたいという強い意志があるわけでもありません。
やはり役割がちがうからダメだ……。
真打ちは、そこにいました。
そう思って、リンダといっしょに挫けそうになったとき、
すぐそばに打ってつけがいました!そう。ニコルです。
ニコルは、リンダに元気になって欲しいと思っています。
有無を言わせない純粋なパワーを持っています。
決めの一手を打てるのは、この子しかいないじゃないか!
偶然現れたときはどう絡ませようか、すこし煩わしかったです。
でもごめん!いてくれて助かった!!
そこで急遽、ニコルに情報を握らせることにしました。
・部長から事前にリンダの話を聞いたことにした。
・部長に言われて、この場に割り込んだことにした。
・テラとリンダの会話を聞いていたことにした。
そしたら、部長がどこかに行った理由ができちゃいました。
ニコルが直観したこと。
「リンダ先輩はやさしいんですね」という、
誰よりもやさしい人間からの、あまりにも芯を食った一言。
しかも理由はわからないときっぱり!
リンダのやさしさの実態は「悲しみを創り出したくない」こと。
たとえ空想でも、誰かに悲しい思いをさせたくない。
悲しい結末は、見た人も悲しませます。
自分ですべてをコントロールできる世界なのに、
わざわざ悲しいことを書くのか?という葛藤と怯えです。
(というか、私が考えていること、そのものです)
また、リンダ(というか私)は、謝るのも謝られるのも嫌いです。
自分だけの理由で他人を憎んだり責めたりしないので、
人に謝られるととても悲しい気持ちになります。
同じように、自分が謝ると人を悲しくさせると思っているので
自分が謝ることも避けようとしている節があります。
(フランクな「ごめ~ん」は大丈夫です。)
そういうイビツなやさしさで生きているので、
やさしくはありたいが、自分のことをやさしいとは思えません。
やさしいと言われるとつい理由や根拠を聞いて、安心したがります。
ところがイビツなので、理由を聞いたところですぐに反証できます。
理由で安心しようとして、理由で自分を傷つけているわけです。
そんなリンダには、直観による真っ直ぐな言葉が必要だったのです。
お気に入りのシーンがあります。
「根拠ならあります!」も大好きなシーンなのですが、その手前の
「おれバカだからわかんないけどさ――」「え˝…っ!?」も、
かなりお気に入りです。これはテラが勝手に言い出したんですが、
私の理性が「そんな擦り切れたセリフ言わせんなよ」と抵抗するのです。
でもその場に私(=リンダ)が居るので、メタっぽいツッコミができました。
結果的にこの、直観型人間を象徴するセリフを言わせてあげたことが、
リンダが大笑いする流れに繋がり、心の変化を行動で表現出来ました。
あえて直観型人間のセリフを真似てみるリンダが愛おしいですね。
テラのラフプレーがファインプレーに変わった瞬間です。
部長はなにをしていたのかな?
リンダが改心して帰宅した時点で、ストーリーの目的は果たされています。
そのまま翌週になって、台本書いて来たら話を締められます。
でもどうにかして、テラと部長を絡ませたかったのです。
部長はわざとリンダと会わないようにしていたので、
リンダが帰ったあとに出てくることはできたのですが、
この場に出してしまうと、テラに事情を説明するのが面倒でした。
そこで急遽、テラも事情を知っていた風にしました。
というか、黒幕がふと出てきて「大した役者だね。君たちは」
とか言ったら面白そうだと思ったので、テラも仲間にしました。
急にハンドルを切ったので、ここ実は辻褄が合っていません。
テラがどこまで計画的に動いていたのか?はっきりしないのです。
「部長に前々から聞いていた」とすれば、無理やりいけますが……。
けれど辻褄よりも、
夕日とリンダの影を眺めながらニヤニヤしてる3人の姿のほうが、
圧倒的に面白いと思ったので、ゴリ押しさせていただきました。
たぶん、そんな辻褄、私みたいな神経質な人間しか気にしません。
(そういうの気にするやつが、ストーリー批判とかするのよ)
面白いほうがええやんか。
説明は抽象的にしました。
部長がなにを考えていたのか、打ち明けるシーンなのですが、
単なるタネ明かしだと冗長でつまらないですし、
そもそも、テラとニコルには説明が伝わるか怪しいです。
しかも日頃から「あれこれ理由を並べ立てるな」と言っている
部長の口から、具体的な理由なんて語らせたらかっこわるいです。
せめて言わせたかったのは、これらです。
・部長はリンダにわざとぶつかったこと。
・日頃の部長の言葉ではリンダを変えるのがむずかしいこと。
・なので部長以外の「信じられる言葉」が必要だったこと。
・そして、部長とリンダがよく似た人間だということ。
これらのことと、登場人物のイメージを掛け合わせて
たとえ話をしてみたら、かなりしっくり来ました。
テラもニコルも感覚的に納得してくれました。
同じセリフを複数回言わせることを意識してました。
同じセリフを、ちがう意味やちがうシチュエーションで使うと、
人間はハっとします。単なる心理効果ですが、物語においては重要です。
無条件に観客を惹き付けることができるチート技ですからね。
ムダ打ちすると味がしなくなるので、大事なシーンで使いたいですね。
これは私の育った大阪で培われた『漫才のフリとオチの文化』です。
面白い展開なんてなくても、フっとけばオチるのがカラクリです。
普段やりませんけど「そんなことあるか?と思った話やねんけど……」
と言って話始めて、「~って、うそやん!そんなことある?!」
で締めくくれば、ふつうの話にもオチが付けられます。やりませんけど。
台本のなかには、短いフリオチも長いフリオチも入ってます。
短いのは、序盤の「英語なら分かる?」からの「日本語分かる?」です。
『なんとなく面白い会話』をわざと作ってます。つかみは大切ですからね。
あ、でも「おれバカだから~」からの「私バカだから~」も早いですね。
ようやく題名が決まります。
長いのは「脳みそ鉄筋コンクリート」ですね。序盤は頭に残りますが、
完全に忘れた頃に部長が言います。実はこのときに題名が決まりました。
「僕とあの子はよく似ているんだ」なんて言うより、
「(あの子と同じ)脳みそ鉄筋コンクリートだからね」の方が粋ですよね。
(このシーンに行き着くまではずっと『リンダとふしぎな森』でしたw)
これで題名も大きなフリとして使うことができましたね。
言わせたいオチから遡ることもありました。
「誤字誤用ある?」「無い。ぜったい」と言わせたかったです。
テラと同じく台本書きになっても、テラとはちがうことや、
リンダの神経質なカタさは変わらないことを強調したかったです。
なので、あとから「誤字誤用」を、テラとの会話に差し込みました。
おかげで「リンダらしさ」を際立たせることができたと思います。
いちばん最後に書き換えたセリフ
一行目のセリフなんですが、完成してしばらくまで
「ぶちょ~、やっぱり私には書けませんよぉ~……」でした。
日常の和やかな雰囲気から始めたかったことと、
キビキビした部長と対比させたかったのでそうしてました。
でも思い切って「部長!私には、書けません!!」と言わせました。
最後のシーンの「部長ッ!!……私、、、書けました……っ!!」
と近しい印象にしたいなーと、あとから考え直したからです。
この変更がどう働くのか、自分でも計りかねています。
すこし緊迫した雰囲気から始まるので、
そのまま暗い話に入っていくと、マイナスが増えそうです。
直後の漫才で盛り返せたら幸いなんですけどね……。
変わった台本のたてつけ。
この台本は、登場人物たちの性別を定めていない、すこし特殊な台本です。
オンライン通話上で演劇を行う、いわゆる『声劇』の界隈では、
台本の登場人物に男性・女性・不問のいずれかを定める文化があります。
(不問はおもに、少年か、動物や機械などの人外であることが多いです)
私はこれが、はっきり言ってキライです。
まず基本としてベースとして、おじさんはおじさんが演じる、
若い女の子は若い女の子が演じるのが、ベストだとは思います。
見た目を伴わない、声だけの演技であってもおおまかには同じです。
でも、声だけだったら、演技でなんにでもなれるはずです。
(もちろん本当になんにでもなれるわけではありませんが、
一般人のそれと比較すれば、私はなんでもできますよ!)
私が生身の演技よりも声の演技が楽しいのは、
声だけだったら、なんにでもなれるからです。
変容する演技を楽しみたいと思っている演者の人はたくさんいます。
(でも全体で見るとマイノリティです。理由はいろいろあります。)
作者の意向がゼッタイですが、所詮アマチュア同士のお芝居なのに
演者の技術・意欲を無視して、肉体の性別に縛るのが、
演じることの本分から逸脱している気がしていて、
「自分で書くときはぜったいに性別を定めない」と決めていました。
要するに、登場人物の性別は決めたらいいけど、
演者の性別とは必ずしも関係なくない?という考えです。
ほかの人がどう思うか、どうするかはもちろん自由です。
せめて私のセカイのなかでは、縛られず楽しんで欲しいです。
「こういうのが当たり前」それはぜんぜん良いんですけど、
「ふつうじゃないのは悪」みたいな文化は無くしたいです。
こうして、完全性別不問の台本を書けたことで、
ちいさな夢をひとつ叶えることができました。
私にとっては、ただ台本を書いた、というだけではなかったんです。
『演者の性別、お好きにどうぞ。』
この注意書きが、古い声劇文化に対するささやかな反抗です。
「男性が女性として女性を演じること」
「女性が男性として男性を演じること」
これらについても制限しないという意味です。
(わざわざ、男性が~女性が~って説明するのも辟易しますけど)
喧嘩を巻き起こしたいワケではないので、
「(ただし共演者と同意の上でお願いします。)」
と一文を加えましたが、正直な気持ちで言うと、
もっともっともっともっと喧嘩して欲しいです。(私はしない!!)
異性声演者が増えて、文化が変わってほしいです。
でも、やろうとする人、できる人、志す人があまりに少ないので、
あと10年掛かると思います。しかも、副次的に浸透すると思います。
ボイチェン文化の副産物として、10年後に異性声演技が受け入れられます。
遅くない?遅いんです。声劇界隈。未だに10年以上前の古い文化圏です。
しかもボイチェン勢は基本、メタバ劇界隈に行くので、さらに遅れますね。
先にボイチェン勢がじわじわ来て、止まらなくなって、
その波に紛れて、生声で異性声演技をする勢が増えます。見てろよ。
ちなみに私の演技や異性声を、否定されたり封殺されたことはありません。
ただ、やりたがってる人や、やりたくても技術が伴わない人たちが、
ずっと肩身の狭い思いをしていることが、にくらしいのです。
この話題になると、ぐわ~っ!ってなるので、もうやめましょうか。
ちょっと変わった文体について
台本にしてはやたらと、ひらがな・カタカナが多いと思います。
私自身が、漢字を書き崩した文体が好きだからです。
カプコンのアドベンチャーゲームみたいな。
「その証言はアキラカにムジュンしている!」みたいな。
「ボクら2人のチカラでセカイをすくうんだ!」みたいな。
こういう文章のほうが、やさしいキモチになれそうな気がします。
ちなみに私は漢字強者なので、勘違いしないでくださいね。
でも「なんとなく好きじゃない漢字」が結構あるんですよ。
疲、違、傷、嫌、辛い、力、形、分かる、固い、などいろいろ。
忌み文字だったり、読みが定まらなかったり、みづらかったり、
一般的に使い分けがはっきりしない漢字などをすこし避けてます。
(完全に避けてるワケではありません。流れに因ります。)
エビやカニやイカって漢字よりカタカナで書きたいですよね。
猫って、シチュエーションによってネコやねこも使いたいですよね。
なんとなくそういうやつです。
そうしてこうして完成しました。
リンダと同じく「書けない書けない」と
アタマを抱えて生きてきた私でしたが、
以下のことを銘打ち、なんとか書ききることができました。
脳みそ鉄筋コンクリートなので、考えないようにしながらも、
懲りずに小賢しいロジックを盛り込もうとしましたが、
イチから百までロジックで埋め尽くそうとして書けなかったこれまでより、
ずいぶんラクに書けたと思います。
今回の台本は自分のなかにあったものだけで書きました。
それ以外に方法があるのか分かりませんが、
ファンタジーもいつか書きたいです。妖怪ならいけるかな……?
私が初めて物語を書き上げた証として、このnoteを書き残します。
おめでとう。私。