《影の国》にみるトラウマ治療~英雄伝説 空の軌跡 the 3rd~
「あの時のチョコレートの味が……忘れられんねん。あの甘くて苦くて懐かしい味を……」
「オレがオレ自身を認めてやるためにも……! そして、全員無事に再会するためにも!」
自分が軌跡シリーズを知ったのは今から十年ほど前でPSPの空の軌跡FCから始まり、あとは発売順に最新作《創の軌跡》までをプレイし、楽しませていただいています。
と同時に、自己啓発・また自分を見つけるという意味で心理学の本を読んだりして浅学しているのですが、それにより自分のプライベートのみならず、創作世界にまでも思索に富んだ広がりを見せています。
空の軌跡 the 3rdはシリーズでも珍しく、本編のほぼすべてが《影の国》という異世界が舞台なのですが、いま改めて振り返ってみると、『主人公であるケビンの心の葛藤をめぐる様子』まざまざと見せつけられます。それはプレーした人なら納得のことだと思いますが、物語の流れ影の国の仕組み、そして用いられる用語の端々からも感じられるのです。
先日の考察である《己の本質を証明する~英雄伝説 創の軌跡~》とも合わせ、彼ら主人公の心を問う物語として語りたいと思うので、お付き合いいただければ幸いです。
本稿は、空の軌跡 the 3rdの物語・ゲームシステムなどを考察したものになります。ゲームネタバレを含むほか、既プレイもある程度前提となっていることをご容赦ください。
1.空の軌跡 the 3rdの物語
舞台は《導力革命》という技術革命が生じて約50年のゼムリア大陸、リベール王国という自然豊かな小国。王国軍の軍事クーデターや、秘密結社《身喰らう蛇》による古代文明の秘宝《輝く環》を手に入れるための陰謀と、それに対抗する遊撃士エステルと仲間たちの活躍が描かれたのが、空の軌跡FC・SC。
空の軌跡the3rdでは、エステルの協力者であった七耀教会(ゼムリア大陸で権威を持つ宗教組織)の実行部隊、星杯騎士団のケビン・グラハムが、彼の部下リース・アルジェントとともに突如として異空間《影の国》に巻き込まれるところから始まる。
脱出のため、《影の国》を探索する二人。二人は道中、同じように巻き込まれた旧知の仲間たちと共に、世界の謎や敵の存在を解き明かしていく。そこには、ケビンが過去に起こした大罪が鍵となっており……。
ゲームそのものは過去作のファンディングのような構造となっており、本編はおおよそ一本道です。随所にケビンの過去が回想という形でクローズアップされ、それは徐々に進行する物語と絡まりを見せていきます。
2.主人公ケビン・グラハムの半生
ツンツンな緑の髪と関西弁(日本標準)が特徴の不良神父です。仲間たちの前では陽気な雰囲気と間の抜けた言動でムードメーカーを演じるが、その実は《外法狩り》と呼ばれる大犯罪者の処刑人。冷徹な性格で計算高く、仲間たちと協力したのも「標的を処刑するために君らを利用しただけ」と言います。
彼は前作ではよくエステルをサポートしており、同じく豊富な知識と経験、戦闘技術で最後まで仲間たちの旅路についていきました。同時に最終決戦で前作主人公エステルとヨシュアを、ラスボス《教授》のトラウマを治療的に取り除きました。
が、上記の台詞の通り、彼の真の標的はラスボスである《教授》の処刑。その処刑の瞬間は仲間内には誰にも明かされず密やかに起こされた。ちなみにその処刑の方法も実に皮肉な方法なのですが、話もそれるのでまた別の機会に、と思います。
彼のこころに影響を与える出来事として欠かせないことが2つあります。母の自殺、そして義姉の死です。
彼の家は母とケビンの二人家族。幼いころ実の母に無理心中を図られ命からがら逃げだして、帰ったころには母親が死んでいた、という出来事がありました。その後彼は通りでさまよっていたところをルフィナ・アルジェントという少女と出会い、彼女が暮らす教会の孤児院に拾われることとります。
その後ケビンはルフィナを追いかけて星杯騎士団に就職しました。その後《聖痕》と呼ばれる超能力を意図せず発現してしまい、その暴走により家族同然の仲だったルフィナを殺めてしまいます。以降、彼は《外法狩り》として許されざる犯罪者や救いようのない化け物の子供などを処刑していくことになります。
3.《影の国》の構造と深層心理
そもそも《影の国》は、『人のあらゆる願いを叶える至宝《輝く環》が、その機能を発揮するために作ったサブシステムのようなもの』で、人の想念に反応して様々な可能性を見せる世界となっています。作中では強く物質をイメージして物体を顕現させたり、異空間に迷い込んだ人の一人が《そう在りたかった立場の象徴》である軍服に意図せずして袖を通した状態で現れたりしています。
そして前作で《影の国》のメインシステムである《輝く環》が失われたために、それを補填する形で強大な存在であるケビンのトラウマ、《聖痕》を核として再構築されていきます。よって新たな《影の国》は、彼のこころとは少なからず相関関係がある世界であることは明白です。
彼の聖痕=トラウマ≒コンプレックス≒無意識という想念を反映した世界なのですから。
《影の国》は、仲間たちの拠点となる《隠者の庭園》から始まり、その後は第一星層、第二星層……と続きます。数が増えるごとに影の国の奥深くに侵入していき、最終的には《影の国》の外側で影の王(ラスボス的存在)と対峙することになる。
物語では影の国を好き勝手に変えた元凶である《聖痕》はケビンの意図からは切り取られて暴走していますが、そこはあくまでケビンと関係しているものとして語っていきます。
心理学における影は《元型》の一種です。元型とは、人間の無意識の奥底、もっと言うと普遍的無意識に存在するイメージの一種です。影の他には《ペルソナ》《アニマ》《アニムス》などがあります。
《影》がなんであるか、というのを定義するのも複雑な心境なのですが、あえて表すのなら無意識の自我に上らなかった価値観や性格の集合体とでもいいますか。自分の自我が形成=自分が生きていくうえで受け入れられなかった価値観や生き方とでもいいますか。
まさしく表に対する裏、陽に対する影のイメージです。
例えば夢は自我が弱まり、無意識でのイメージが投影されるともいいます。現実世界でも、夢の中で海の深くにもぐったりすると、それを『無意識の奥深くへもぐる』ことと解釈する人もいるのだとか。影の国がケビンの無意識を投影しているのであれば、それはつまり星層を進むほどケビンの無意識、さらに普遍的無意識(ケビンを飛び越えて多くの人間に共通する無意識のイメージ)へ近づくことを意味するのではないでしょうか。意識の奥深く程強大なトラウマがあって、メタ的にも物語的にも心理的にも、探索を進めるほど強敵や核心に近づいていくのです。
普遍的無意識に巣食っていた《影の王》が暴走の果て、(ケビン達の活躍もあり)ケビンという一個人のトラウマを模した影の国では存在を保てていられなくなり、最終的には《ケビンのこころ=影の国》を飛び越えた外側で、仲間たちとともに対峙する。物語的にも風刺的にもとてもエモいものを感じます。
4.巻き込まれる仲間たち
*巻き込まれる理由@自己投影
巻き込まれる仲間たちはメタ的には過去作の仲間たちです(お祭り要素として、ケビンと関わりの薄い人もいるのですが)。ケビン自身は彼らを、かつては計画達成の《駒》として見ていました。一方、《影の王》は戦いをこの世界をゲームとも称し、「戦うための《駒》をケビンに用意させているのだ」という発言もしている。こんなところでも、ケビンの自己投影としての《影の王》の性格が見て取れます。
*巻き込まれる理由@ケビンを救う者たち。
一方で、ケビンにとって前作主人公エステルをはじめとする仲間たちは、希望の存在だったに違いありません。後ろめたいことのない(こともない人もいるけど、過去作で成長している)仲間たち。ケビンは自分と似た境遇の少年が、仲間たちの輪の中でトラウマを克服しているところをその目で見ています。「彼らと共にいるなら自分も変われる──」仲間たちが巻き込まれたことは、プラスの意味でもマイナスの意味でも、結果としてケビンに大きな変化を与えているのではないでしょうか。
人間は一人では生きていけない。発言の趣旨は違いますが、誰かも言っていました。「人は、人の間にいる限り、無力なだけの存在じゃない!」と。心理学ではありませんが、関連する仏教において《縁起》と呼ばれる概念は、本来は《空》である存在が他の存在の関りを起点として、その存在を定義付けます。
ケビンもまた、一人では自分の存在を定義できず、彼の中の強大な影に立ち向かえなかったからこそ、仲間の存在が欠かせなかったのだと思います。
5.ケビンの無意識との葛藤、最下層の《煉獄》
物語を進めるにつれ、プレイヤーにもケビンの過去が断片的に明かされていきます。また、ケビン自身もプレイヤーには語らないけれど核心に近づいていきます。《影の王》の正体は、恐らく自分の中の「罰されなくてはならない」という願望が形をとって現れた、ルフィナなのだと。そうケビンは一度結論付けました。
しかし物語の中盤、その予想を知らない仲間たちが「ケビン君は知らないのかい?」と言ったり「ケビンは誰一人仲間たちを信用していない」と言っても、ケビンは本心を語らずごまかすだけです。
そもそも自身(に連なる存在)が元凶であることを、仲間たちに伝えるのは勇気がいるのかもしれない。あの時点ではまだ、ケビンは影の王の存在を認め、向き合う覚悟も資質もなかったのでしょう。
また無意識に近づくにつれ自我の働きは弱まっていく。こう言った時には、正しい道が判らなくなることもあると思うので、混乱しているような状況であるのかもしれません。
物語の佳境にて、ケビンはついに影の王の正体がルフィナであると、影の王自身に告げました。すると影の王は仮面を取り、そしてルフィナが姿を現しました。
ケビンが《ルフィナ》だと存在を規定した瞬間(だったかな?)、ケビンの内面そのものである世界は影の王をルフィナとして扱い、さらにケビンの「罰せられなければ」という想念に反応して彼を罰するべく世界の在り方を変えていく。そうして(後の深淵を除けば)最下層の《煉獄》に辿り着くケビン・そしてリース。
最下層、無意識の深奥に存在するこの強力なイメージは、コンプレックスでもある。だからケビンの感情が揺さぶられた《エルマー》《オーウェン》そして《母ちゃん》が、コンプレックスの具現化として現れた。ちょうどケビンを罰する材料としても的確でした。
※ところで煉獄のイメージはケビン自身も「俺のイメージが……」的なことを言っていましたが、七耀教会が主たるゼムリア大陸において、その聖典で存在する煉獄は、案外ゼムリア人の多くの普遍的無意識に潜むイメージなのでは、とも思います。
6.《影の王》の正体の変遷、その象徴
影の王は、当初は仮面を隠し、そしてルフィナとして現れましたが、最終的にはケビンの中の《聖痕》そのものであると明かされました。
仮面で正体を隠した影の王から、ケビンのコンプレックスであるルフィナの姿へ。そして、最終的に《聖痕》そのもの、ラスボス名としては《アニマ=ムンディ》と名乗ります。
《アニマ=ムンディ》=意志、という描き方もされていましたが、ここでお伝えしたいのは、すでに上げた心象イメージのこと。
《影》はすでに語りました。
《アニマ》とは、『男性の心象に存在する女性像のイメージ』なのです。
ケビンにとってのアニマをルフィナと、そう簡単に確定できるわけでもないですが、それでもケビンの心の内奥でトラウマと結びついている聖痕《アニマ=ムンディ》がルフィナの存在をかたどって現れたのは、偶然ではないでしょう。
ルフィナの姿を取る影の王が、自我が弱まって元型アニマとなり、最終的にトラウマそのものが攻撃してくる。ケビンにとってはとてつもない苦行です。
そして、苦行ですが……『ルフィナのような存在を超える』というのは、この世のすべての人間に課され得る試練でもあります。
『子供は自立にあたり、心理的な、象徴的な親殺しをする必要がある』といった考えがあります。これは、なにも本当の家族でなくても構いません。強大な存在である教師など、そういった対象に親のイメージを投影して喧嘩をする、とかそういったこともあります。
父も母も幼いころに失っている。そうしてケビンはルフィナに出会った。乗り越えるべき影の王が(聖痕発現の時にイメージとして取り込まれたとしても)ルフィナの姿をとったのも、ケビンのトラウマとして最上位にいる親的な存在がルフィナとなっていることの証左でもある気がします。乗り越える母親像であるルフィナです。
そして、影の《王》。王とはつまり、圧倒的な権力者。力ある者。そして歴史の大部分において、男性であったと思います。
つまり、父親的なイメージをも持っているといえるのではないでしょうか。
父親としての像、母親としての像、どちらも併せ持つ根源たる《聖痕》。人間が乗り越えるべき試練であっても、特殊な人生を歩んできたケビンにとっては耐えられずに自殺することも厭わないくらい、絶望的なまでに強大な存在なのです。
7.答えのない問い、そして「いつか、辿り着く場所」
ケビンは仲間たちに自分の生い立ち、そして巻き込まれた原因について明かしました。それまでの過程で他と同じように強大な壁となった《教授》を乗り越えた。そこでの「あのチョコレートの味が忘れられない」といった言葉など、このあたりからケビンの覚悟も定まっていたように感じます。だから仲間たちに白状することもできた。最終決戦の場では影の王=ルフィナのさらに深層的な正体である《聖痕》そのものだとも告げられるようになった。
図らずして影の国に飲み込まれ、自身のトラウマと向き合うことになったケビン。彼は仲間たちの手を借り、自分を何とか保ちながら自身の無意識の奥底を探っていく。そこでは自分の真実もあり、恐ろしい現実や力の前には時として立ち止まったり、後退もしてしまう。疲れ果てて休息だって必要になる。それでも自分を物理的に殺すことをせず進み続け、無意識の本質に辿り着く。そうして無意識(影の国)の外側である意識下で、自分が認められなかった価値観を対峙し、受け入れる。
単語を抽象的なものに変えれば、それは現実のどんな人間にもあり得る軌跡なのだと思うのです。
※神話の英雄の物語は、「特殊な生まれ→化け物対峙→結婚」という流れが多いと聞きます。「ケビンの特殊な出自→影の国での物語→リースとの強い絆の再認識」という流れもまた……。
影の王=ルフィナ=聖痕を乗り越えたケビンですが、まだケビンの壮絶な人生の中の一つの区切り、自立までの過程にすぎません。自立を共に乗り越えた仲間たちとはしばしの別れ、ケビン自身は変わらずに守護騎士を続ける。長い道のりです。答えのない問い、というか常に提示され続ける難問。だから今の状況を語るのではなくて、ルフィナとの約束のような、「いつか、辿り着く場所」が最終章の主題となっている。
トラウマだって、乗り越えた先にもまだまだ人生は続く。だからケビンの軌跡である空の軌跡 the 3rdが、トラウマが癒される、あるいは自ら癒すための過程だと、そう思えるのです。
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