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短編『さらば、吉祥寺』(改訂)


マンガ作 福田尚弘 / まつだしょうご


吉祥寺に戻ろう


「どこに住んでもいい」という状態になるのは、初めてのことだった。

家内と別れ、やがて子供たちが巣立ち、独りになった。
身軽になったので、長く一家で暮らした世田谷の一軒家を引き払い、小さなマンションに移ることに決めた。

もともと在宅でのパソコン仕事がほとんどなので、行先の選択はほぼ自由だった。

自分は、どこへ行ってもよい、、、

しかし、過度な「自由」にはやっかいな一面がある。
「どこでもいい」となると、どこへ行くべきか、途方に暮れてしまうのだ。

こんなときに帰ることが出来る「故郷」などがあれば、と思うのだが。
しかし自分にはそれがない。

「出身地」を人に聞かれると「東京」と答えてはいるが、厳密には違う。

母の実家のどこどこの病院で生まれて、父の仕事の関係ですぐにどこへ移って、その後どうのこうの・・・といった面倒な説明をはしょっての自称「東京出身」である。
 
数えてみたら、海外を含め関東を中心に、25か所以上へ引っ越しをしてきた。犬のマーキングのようなもので、そのいずれにも愛着がある。

中でも馴染みが濃いのが、小学生のほとんどを過ごした吉祥寺だった。

にぎやかなところに身をおきたい、という気分もあった。

吉祥寺に戻ろう、と決めた。
あそこで終えるのもありかな、とその時は思った。

住宅街


膨大な所持品を処分して、繁華街近くに手頃なマンションを見つけた。
あの時のうきうきした気持ちを懐かしく思う。

自分の中の吉祥寺は、勝手に以下のような構造に単純化される。
 
円の上半分・・・左→繁華街 右→住宅街
円の下半分・・・井の頭公園

引っ越した場所は、繁華街と住宅街の境目あたりだった。
越して来た日に、早速、かつて家族で暮らしていた住宅地へ行ってみた。
徒歩で10分ほどの距離だ。

住宅地の空は広かった。
半世紀近くの間に大きく様変わりした駅周辺とは異なり、
そこは時間が止まったような空間だった。

高架下に沿って裏道を少し歩いた先に、その細い路地があった。
路地に入ると、すぐに懐かしいあの小さな一軒家が見えてくる。

家は、改築はされているようだが、かつての面影が漂っていた。
周辺の家屋などの配置も記憶とほぼ一致している。
幼少期の残像が次々と浮かんだ。

足は自ずと通学路をたどる。

家のある路地から大通りに出る角で、毎朝母が見送ってくれたものだ。
振り返ると、母はいつまでもそこで手を振っていてくれた。

大通りを数分歩くと、小学校がある。
校舎が新しくなっているようだが、ここもかつての景色のままだ。
校庭も砂場も木々も、ほぼ昔の姿のままそこにある。

晴れた日などはたまに同じ順路を巡った。
表札が変わっていたが、当時の友だちの家などもあった。

歩いていると、記憶の断片が切れ切れに浮かんでくる。

かつての我が家の前を通るときはいつも、親に説教されたことが思い出される。

  遊んでばかりいると、乞食になるぞ。
  嘘つきになるな。
  お金は大事につかうこと。
  泣くなら、他の人のために泣けるようになりなさい。

そのどれひとつとして守ることなく生きてきた気がする。

引っ越した当初は、よくそこを散策したのだが、徐々に足を運ばなくなった。

かつての空気がそこにある。
でも、そこにはもう両親も友だちも、誰もいないのだ。


繁華街

越して来たマンションの周辺には、バーや居酒屋が密集していた。

自宅での仕事を終えると、ほぼ毎晩飲み歩いた。
様々な飲み屋をめぐって夜を埋めた。

飲み屋で人に出身を聞かれると、
「吉祥寺育ちです」と返した。悪い気はしなかった、、、
根無し草のくせに。

その頃は、経営していた会社が上手く回らなくなってきていた。
昼のストレスを忘れるため、時には未明まで飲み明かした。
朝陽に刺され、ふらつき帰りながら、
「ここで俺は何をしているのだろう?」とよく思った。

やがてコロナが来た。
飲み歩くことは少なくなったが、その分、自宅で暴飲を続けた。
暴飲とは、自分の底に、穴を掘り続けるような「作業」なのだ。
誰とも会話をしない日々が多くなり、
スーパーとコンビニへの買い出しぐらいにしか外出しなくなった。

不眠が続くようになり、クリニックへ行った。
うつ病ですね、と医師に言われた。
アルコールの量も常軌を逸しているらしい。

日々を浪費するうち、幼少時に過ごしたのとほぼ同じ年数が経っていた。
変化が必要なのかもしれない、と思いはじめた。

ここはやはり故郷などではない、「もどき」に過ぎないのだ。

この街には何でもある。でも何もない。
そう思うようになっていた。


いってらっしゃい


もっと身軽になりたいと思った。
ひどく億劫ではあったが、また引っ越すことにした。

 「どこで暮らしてもいい」という振り出しに戻ったのだ。
所持品をさらに捨てまくった。

かつて馴染んだ街を思った。
四谷、幡ヶ谷、神楽坂、麻布、鎌倉、千葉、横浜・・・

しかし、過去に住んだ場所へ戻るのはもうやめにした。
 知らない場所へ行こうと思った。

ネットで調べ、ストリートビューでいくつかの街を探索した。
郊外に条件に合致した部屋があったので、さっさと契約することにした。
 

引っ越しの当日。
早めに荷造りが済んでいたので、トラックが来るまで小一時間ほど空いた。
久方ぶりに住宅地へ行ってみることにした。

あの家の前に来た。
ここに来ることはもうないだろう、と思った。二度と戻らないだろうと思った。

まだ残された時間はある。
やるべきことはまだあるはずだ。

車道に出た。
母が見送ってくれているような気がした。



2024.11.11
Planet Earth
to Mom

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福田尚弘
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