感情 対 理性そして思考
男性のための制度や優遇措置が女性の価値観や都合で評価されるのが私は不思議で仕方ない。
それが多数派意見として歓迎されているのも不思議だ。ネットに濃度凝縮みたいにして結果的に顕在化した人達が一箇所に集結したからこのような意見が表層で目立っているのだと思いたい。
じゃあ見なければという言葉はもはやキラーフレーズだが、別にこれを見に来ているわけではないというのが本音ではある。
男性がこういった発言すると一気に攻撃されてしまうからあまり発言出来ないんだろうなと思う。いちいち相手にしてても疲れるし気が削がれる。この時点でおかしな話だと気付けると思う。
理性でのフェアな対話や話し合いが出来ないとなるとこちらはもうなす術なしである。
このような話題に対し、男性だって!と噛み付いている人を見かけるが、よくよく考えると今その話してなくないか?と感じるのである。
議論ができないことを分かった上で見ているものの攻撃されている男性や議論をしに来ている女性が不憫で仕方ない。
一部が悪目立ちしているだけで単純にこれらは表層であると仮定すると、巷ではこのようなことに対し“声が大きい”と表している。実はこの言葉自体私はあまり使いたくない。
この言葉を使えば一丁前に批評できている気になれるからだ。私は思考停止ワードと呼んでいる。
別に物事を悪く捻じ曲げてしまうような言葉ではないと思うが、言葉の中身が空になっているものを見かけることが少なくない。的を得た表現ではあるが本当の意味での”言葉の使い手”がさらに減っていく要因にもなりかねないと危機感を感じている。