拝啓ディストピアを知らぬ自分へ
今日は私の好きな作品の一つ
PSYCHO-PASSの話。
狡噛さん、めちゃくちゃかっこいいよね。
人間として大好き。
私はPSYCHO-PASSが始まった時から
リアルタイムで追っかけていた人間だが
当時は幼かったため、
今こうして再度作品を見返すまでは
殆ど内容に関する記憶がなかった。
これより下はただPSYCHO-PASSについて喋っているだけである。
読んでくださっている方が
作品の内容を知っている方かどうかわからない上、
ネタバレの期限っていつだ?と言う感じなので
一応以下は物語の内容に触れていることを断っておく。
私の現在の愛読書はPSYCHO-PASS上・下である。
かつて私は相当熱の入った漫画・アニメ好きであった。
やっぱり戦闘シーンは憧れ。
能力モノが大好きで脳内はいつでも大乱闘
そんな中始まったアニメPSYCHO-PASS1期。
冒頭でも申し上げたとおりちゃんと見はしていたけれど
幼い頃の記憶はどうしても曖昧に消えてしまう。
ただ鮮明に覚えていたのは
シビュラシステムの正体であった。
量子コンピュータでもスーパーコンピュータでもなく
それは人間の脳みそ
システムでは測ることのできない人間
「免罪体質者」の脳
無数の脳みそが機械のアームに運ばれ
秩序的に納められていく光景を私は覚えていた。
あの頃はそういう物語なんだな程度の感想しかなくて
ドミネーターが良かったとか
狡噛さんがかっこよかったとか
槙島聖護も白くてかっこいいなとか
そんな感想だった。
そして今年読み返したPSYCHO-PASS上・下。
何故今?と思う方もいるかもしれないが
新しく劇場版が公開されたからである
私はすごくもったいないことをしたのかもしれない。
1期のノベライズしか読みかえさずに劇場へと足を運んだからだ。
映画の内容に対して私は
今海外の宇宙系SFでも読んでんのかな
って感じの理解度
文字通り宇宙猫。
ちなみに海外SFはこの数ヶ月後に3期のノベライズを読んでたら何故か読めるようになったのだが、
いや映画見る前に読もうぜ!って話(笑)
それからGENESISを読み、前作の劇場版を視聴し、1期に戻り…のループ
アニメ原作で始まり
ノベライズも豊富なこの作品に触れる日々を過ごし
幼い頃に感じることのなかったものを存分に感じていた。
それが良いとも悪いとも思わない
ただ感じ取れるようになってしまったのだなと。
私達は自分の意思で自由に取捨選択が出来る。
何らかの常識ががんじがらめになって
身動きが取れないこともよくあることだが
最終的な決定権はいつだって「私」にある。
彼等が生きる世界にだって自由はある。
けどそれは規制された自由で
彼等は選択の意思をシビュラによって削がれたのだ。
それでもまだ決定権は「彼等」にあった。
自由を悩むこと、不自由を悩むこと。
自由はいつだって私達を不自由であると錯覚させる。
あの世界は理想郷を目指したのだ。
誰もが生きやすいように
幸福が均等に行き届くように
この世界だっていつの時代も幸福を追い求めてきた。
誰もが幸せに生きることを望んできた
そのためなら科学の進歩だって厭わなかった
拝啓ディストピアを知らぬあの頃の自分へ
選択を選んで生きてきた貴方に
私は敬意を称します