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【超短編】偽善のキューピッド

恋愛小説「水彩紙」没案 サイドストーリー

はじめて天使に出会ったと思った。
入学式で隣の席になった少女はまるで、この世界の理不尽さによって私達が息をしているという哀しい秘密を、たった一人で背負っているかのような、そんなひとだった。猫背にだらしないポニーテールが飾らない美しさを演出して、私は今までどうやって友達を作っていたのかを忘れてしまうほどに。
その彼女、高崎さんはどうも本を読むのが好きらしく、休み時間には喧騒を傍観するようにオブラートの中にいる。一人で、けれども淋しそうには見えないで、いつも誰かと宿題の答え合わせをしていなければ生きられないような私とは変わって強かった。全く同じ白いブラウスを着ているのがなんだか恥ずかしくなってしまう。
「高崎さんは何部に入るの?」
放課後、できるだけ明るく尋ねると彼女は本を読みながら答えた。
「文芸部」
分かりきった答え合わせ。最初から決まっていたことのようにぴたりと当てはまった。彼女が文芸部なら、私も文芸部に入ろうか。友人から誘われていたバスケ部を蹴って、私はくすんだ再生紙に文芸部と記入する。それがいけなかった。

あれから二年。高校三年生になった春、また去年のように自己紹介をして、ゆらゆらと魚が泳ぐ水槽のように閉め切られた図書室で今日も高崎さんは一人、窓際で伸びたポニーテールをだらしなくこしらえている。
いつだったか高崎さんのことをニックネームで呼ぶ許可を貰った。天音、という名前を噛み砕いて“アマちゃん”。馴れ馴れしくて烏滸がましいような、それでいて私が一番特別なような、別に心を許されたとかそんなわけではないだろうが、ほんの少し嬉しいのは事実だ。そのまま卒業して、私はアマちゃんのことをじんわりと忘れていけたら綺麗なはずだったのに。
「中途半端な時期に入部してすみません」
隣で背の高い一年生の男の子が気まずそうに謝る。五月の連休明けにまさか新入部員を迎えることになるとは思わなかった。そしてあろうことかその男の子は、誰一人近寄らせなかったあの天使のような少女と仲良くなってしまったのだ。

夏休み。文化祭のために書いていた作品を書き終わり、なんとなく本屋へ向かう。私ですらアマちゃんの連絡先を知らないのに、あの二人は夏休みに連絡を取り合っているのだろうか。花火大会に一緒に行っていたらと思うと気が気でなかった。私だってアマちゃんが花火をどう言い表すか知りたかったよ。
「あれ?中江君じゃん」
詩集コーナーで背の高い少年を見つけて声をかける。この子も綺麗な顔をしていて哀しくなってしまう、アマちゃんとこの少年はきっと同じ神様から作られた天使だ。私はそれを有り難く見守る位置に生きるただの人間なのだ。ここでこの天使の片割れを殺してしまいたくもなって、必死で笑顔を作りつつ少年の心を土足で踏む。
「今日は天音先輩・・・・と一緒じゃないの?」
途端に彼はアマちゃんと同じくらい猫背になって小さく呟く。
「そんなに僕ら、一緒にいるように見えますか」
こんなことをするんじゃなかった。地雷を踏み締めたときみたいに進んでも退いても自分が傷付く未来しか見えない。みぞおちのあたりが軋んだように鳴いていて、私は思い切って彼の心を踏み抜いた。
「見えるよ、付き合ってるんだと思ってた」
その途端彼は分かりやすく大袈裟に咽せる。その少し赤くなった横顔を見ていたら、もしかしたらアマちゃんだって、彼の前ではこんな顔をするのかもしれないと思った。中江君は少女のことを、アマちゃんなんて呼んでいないくせに。二人が天使なのに、私は悪魔にもなることは叶わない。結局また口角を上げて、目を細めて、これ以上私を置き去りにする世界を見なくて済むように細めて、笑う。
「文化祭の作品、二人で短編でも書いちゃえばいいのに」
これくらい、許されてくれなきゃ私はきっと今にも泣いてしまうよ。最初から、天使と天使で結ばれるんだってきっと分かりきっていた。悪魔にもならせてくれないなら、いっそ偽善に塗れたキューピッドを選ばせてもらおう。

夏休み明け、一番に図書室に走ってアマちゃんを探した。相変わらずだらしないポニーテールが目印で、それを安堵するべきか迷いつつ、アマちゃんの向かいに座る。
「あ、雅。丁度良かった。作品提出するね、部長さん」
アマちゃんになぞられた私の名前は不恰好で、居た堪れなくて、彼女に推薦されて得た肩書きだけを咀嚼する。どんなの書いたの?と聞きながら手を伸ばすと、彼女は項垂れながら呟いた。
「後輩と合作なんだけど」
知っていた話だ。私はわざと初めて知ったように頷いて問う。
「アマちゃんが合作なんて珍しいね。誰と?」
「中江君。背の高い子」
彼女の顔を見るのが怖くて私も項垂れながら聞いていた。どこか、からだの中心が痛い。私はただの、アマちゃんの友人以下かもしれないのに、何を思い上がった考えでいたんだろうか。それでも、この痛みすら知られないままでいるのはなんとも哀しい気がした。
密閉されて酸素が薄い、向こうで魚が死んでしまうような図書室。張り詰めた空気の水槽。この天使を刺してしまうなら、私をなかったことにしてしまうなら、今しかない。
「アマちゃんって、中江君のこと好きなの?」
ナイフを刺して、刺されたことに気付かないままのアマちゃんを見ていた。彼女の目が一瞬揺らいで、私も耐えられなくて目を瞑る。痛かったな。入学したその日から彼女を見ていたのに、天使であれば数日で仲良くなってしまうんだ。
やがて彼女は小さく咽せた。あの日少年がしたみたいに咽せて、それがもう、私がもうじき死んでしまうことを表しているのだと気が付いていた。
「好きとかじゃないよ。ただの友達だよ」
その言葉を聞いた瞬間私は事実か定かではない、ただ私を殺すためだけに口を開く。
「よかった!中江君、中学からの彼女いるって言ってたから!」
アマちゃんは表情を崩さない。いつもの秘密を背負った顔をして、ただ頷く。それが嫌というほどこの地位の差を知らしめてくれていた。彼女は天使で、私はなんでもない。誰にも知られることのない、許されることもない、私が背負って生きていかなければならない、孤独な一目惚れだった。天使は天使同士で結ばれるように、どうか祈っているしかないのだから。

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