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塩サバを見て思い出す
大人になると味の好みが変わるという。
ここ数年肌で感じる。いや舌で感じているのか。
私にとってそれは粕汁だ。
小学生の頃、冬になるとたまに給食に現れる白い謎の汁。
酒とか鮭とか入ってるけど、子供の私にはとてもおいしいと感じるものではなかった。
ドロドロしてるし変な味がする。という、とてつもなく粕汁様に失礼な感想を述べて嫌々一気飲みしていた気がする。
しかし数年前、久しぶりに飲んだ粕汁に衝撃を受けた。何これ、これが白い謎の汁のあの粕汁?給食より美味しい粕汁だからなのか、それともやっぱり私の味覚が進化したのか退化したのか知らんけど変わったからなのか。
けれど、それ以降どんな粕汁を飲んでも美味しかった。
私はそれから今に至るまで粕汁の虜だ。
しばらくは粕汁が飲めるお店に行った。それから自分で作ることを学んだ。小さな人類の進化だ。酒粕の分量がなかなか難しく粕汁ではなく酒を飲んでるような時もあったけれど、我が家の冬の定番料理になりつつあった。
冬が終わりスーパーから酒粕が消えてもうしばらく飲めないと思うと心が痛む。
もうひとつ我が家の定番でここ最近特に美味しいと感じるようになったのはサバだ。
我が家はサバが好きだ。
しめさばとかいい。
去年しめさばに出会った。
あれは、そう。去年の秋頃少し肌寒くなってきた頃だ。
スーパーをなんとなしに見ていたら彼が輝いでいた。30%引きの赤と黄色で描かれたチカチカしたシールが輝いていた。
私はそれを見つめしばらく考え、左手に持っていたカゴにソッと入れたのだ。生のサバなんてほとんど食べたこともなかった。
帰ってから一切れぺろっと取って口に運んでみた。
「なんじゃこりゃあ」私はおそらく叫んだと思う。声に出したぐらいはしたと思う。
美味しい、美味しい。
こんなものが世の中にあったのかと、この無知な私が情けなくて仕方なかった。
それから回転寿司でもしめさばを頼むようになった。今までなら、エビやサーモンとしめさばを同じ100円の土俵で対等に見たことなどなかった。絶対損。損得勘定な私はそう思っていたしそもそも選択肢になかった。君は美味しい味してそんなところにいたのかい、しめさばさんなんてもんだ。
しめさばしめさばとしつこいが同じくらい好きなのは塩サバだ。
気づけば我が家には2人暮らしなのに鯖が6切れもストックしてあった。
夫も美味しい美味しいと小さいサバの切り身でご飯をおかわりするほどだ。
美味しい美味しいと言われるのは食事を用意したものとして嬉しいような。だけど、グリルにセットするだけで味付けも何もせず私の力はなにも加わってないサバを他の料理以上に褒めるのは複雑な気分だ。
しかし、このサバの切り身を見ると子供の頃を思い出す。
母を少しばかり怒らせたことを。
子供の頃の楽しみと言えば遊ぶ事と食べる事。そんな単純な私は毎日キッチンに向かう母に「今日のご飯は何?」と聞いた。
「サバやで」
そう言われた時はいつも「えー」と返した。
この「えー」はもちろん驚きの言葉ではなくて嫌だなという気持ちがこもった「えー」だ。
お肉が食べたいとかいうわがままとか、カレーやケチャップオムライスが嫌だという好き嫌いの激しい私はサバに限らずよくこの言葉を料理をしてる母の背に向かってよく言っていた。
もちろん、天ぷらやエビフライと言った最高なメニューの時は全力で喜ぶ事も忘れなかったが。
いつも「えー」と言っても聞き流していた母だったが、あるサバの塩焼きの日。
言われすぎてたまっていたのか機嫌が悪かったのかわからないが「えー」と言った私に母は「嫌なら食べんでいい」と言った。
今思うとあんなに美味しいサバの塩焼きになんの文句があるのかと思う。
そして、作る側の立場になって思う。
私には子供はいないし、夫も出されたものに文句を言う人ではない。
けれど、メニューを考えて作るだけで精一杯だ。これに文句なんぞ加わったら「食べるな!」と一喝したくなる。
子供の頃など親の稼いだお金で買った食材で親の力で料理に変わって何もせずに文句だけ言うなんて、あの頃の私は愚か者だ。
よいこのみんなはこれを読んではいないだろうけど、絶対言ってはいけない言葉なんだ。
恥ずかしい話、作る側になってやっと気づいた。せっかく作った料理にケチをつけられる事の虚しさ。
私は大好きなサバを調理する度に思い出す。
母に言った「えー」というたった一言。たった一文字かもしれないけれど。
ご飯を作ってくれた人への感謝の気持ちは決して忘れてはいけないのだ。