映画『サマーゴースト』レビュー
【此岸と彼岸の狭間で思うことは】
中割りはどこに行ったんだとか思わない。空を飛ぶ幽霊の女性もちゃんと履いているんだとかは思っても良いだろう。そうした色々と気になる部分を含みながら、イラストレーターとして活動するloundrawが監督を務めたアニメーション映画『サマーゴースト』は進んでいく。
見終われば、しっかりと物語として感慨をもたらし感涙を与えて、そしてひと夏の経験のように去っていきながら、ひと夏の思い出のように永遠にしっかりと記憶に刻まれるアニメーション映画だと感じるだろう。
ルックは新海誠監督の初期作品『雲の向こう、約束の場所』と重なるテイストであり、現代の美術系大学のアニメーション専攻から出てくる商業アニメ調の卒業制作テイストではあるものの、そこまで自主制作寄りのアマチュア的な線ではなく、かといってプロフェッショナルの線というにはもう少しといった見てくれに思える。
劇場の大きなスクリーンでかかってぎりぎり大丈夫といったところ。輪郭こそ粗いもののフォルムはしっかりとしているから、作画崩れの妙なラインを見せられることはない。そして美術は、loundrawが描くイラストと重なって繊細で美しく見ていて引き込まれる感じがする。
とりわけ、物語の中で多く舞台となっている郊外の使われなくなった飛行場から見える空の昼間や夕暮れや夜の美しさは、その時々にそこに居て何者かが現れるのを待っていたい気にさせられる。それは幽霊。夏にそこで花火をすると現れるという黒い服を着て髪の長い女性のゴーストに会おうとして、少年2人と少女が花火を買い込み出かけていく。
杉崎友也、春川あおい、小林涼という名の同級生でも知り合いでもなかった3人がファミリーレストランに集まる。目的はサマーゴーストと噂される幽霊との対面。3人にはそれぞれに抱えている悩みがあって、幽霊にでも会って聞いてみたいことがあったようだった。そして物語は成績は優秀ながら本当は絵の道に進みたい友也をメインにして、現れたサマーゴースト、佐藤絢音という女性の幽霊との交流が綴られていく。
超えてしまった生死という此岸と彼岸の向こう側にあって、達観したような口ぶりを見せる絢音だけれど、それでも引きずる思いがあるようだった。一方で、未だ生死のこちら側にいながら向こう側への憧れを抱く友也の対比から、浮かぶ今というこの時間、生きているこのかけがえのない状態をどう使うべきなのか、といった思いが浮かび上がってくる。
やれるときにやれることをやりきろう。
たぶんそんな思いだ。すべてが終わった後、また巡ってきた夏に飛行場へと集まって花火をする3人の姿に安心はするけれど、そこにも含まれる寂しさをこれも噛みしめながら、人は出会いそして離別しながらまた出会い別れる繰り返しを積み重ねていくことの意味に改めて思いを馳せるのだ。(タニグチリウイチ)