#コラム「政治を変えれば、社会が変わるという嘘。ていうか「社会」って何?」
政治を志す方々が口にするステレオタイプの言説ってありますね。
「社会を良くするために、政治を改革します!」的な文言を、特に選挙の時期になると、皆、鼻息荒く、訴えている姿を目にする。政治家なんて、政治改革!と遠い昔から云い続けているが、では、実際に、日本社会が良くなっているかと、自問してみると甚だ心もとない。
社会を変える方々が、やたらと政治的言説を撒き散らし、つまり政治システムに働きかけて、それが結果として「社会」に変革を来すものだと空想しているならば、その思考論理ってあまりに、あまりにもナイーブである。
そもそも、彼らが口にする「社会」って、いったい何のことなのか?この問いに応えるための、前提的な基礎知識として、伝統的な社会から近代社会への移行に至る過程を、やや抽象的な議論になるが話しておかなければなりません。
近代社会のメルクマールは、社会の「機能的分化」に見出すことができる。社会が近代化することで、複雑な様相を呈してくると、社会自体でのみ、調整していた働きに対して対応することが困難となる。
そのために社会は、ある機能に特化した下位システムを分出し、それらが独自の働きをすることで、下位システムを包括する全体社会システムの複雑性に伴った問題に対応するようになる。
ここから、上述したアカデミズムにおける基本的パースペクティブから、タイトルの問題に応えることができる。
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全体社会システムのサブシステムである政治システムは、政治のみに特化した一つの機能システムに過ぎない。
全体社会システムは、他にも教育システムや医療、学、経済、法、宗教或いは芸術システムといった機能分化した諸システムを内包しており、諸機能システムは独自の機能、つまり働きに特化してシステムを回し、それらをマクロ的に見た場合の包括したシステムを全体社会システム、端的に「社会」と云うのです。
「政治」を変えたら「社会」が変わるって、マルクス主義の下部構造と上部構造の図式のように、
マルクスにおいては諸機能システムを規定しているのは、下部構造である経済システムであったが、単に下部構造の経済を政治と取って変えただけの稚拙な理論、安直な論理に過ぎない。
マルクスの社会変革の理論が大失敗に終わっていることは、既に歴史が証明しているでしょう。
その意味で、政治を変える事で社会が変わると信じて疑わない、政治的言説を、あまりにナイーブであると云うのです。
翻って、「社会を変える」と叫ぶ方々は、そうコミュニケーションしている時点で、あなた方自身を包含した「社会」は、既に変容の過程にあるという事にお気づきではないのであろうか。
「社会を変える」という決定主義的な社会の観察に陥るのでなく、社会は常に変容のプロセスにあるという観察に、少なくとも意識的であってほしい。
せめて政治を志すような、知的な方々であるならば。
[参照] 「「世界」って皆に同じに見えるの?」 システムと環境の区別という、社会を観察する形式を参照のこと。
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