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Chapter2「プリペイドタクシー」

それはタクシーというよりはぼろいワゴン車で、後から考えると明らかにプリペイドタクシーではなかったのだが(実際代金前払いしてないし)、その時の僕たちは完全にプリペイドタクシーに乗っているもんだと思い込んでいた。

とにかく車に乗り込むと、客引きはひと仕事終えた満足感からか、やけにハイテンションで僕らに話し掛けてきた。


「日本から来たのか?」

「インドははじめてか?」

「俺たち友達ね」

「トヨタトヨタ」


そうこうしてるうちに僕の緊張もとけてきて、中学レベルの英単語を駆使して日本のことや僕らのことについて話しはじめていた。


「なんだ、けっこう英語でもコミュニケーション取れるもんだな」


それにしても助手席に座った客引きのテンションの高さに比べ、サングラスをかけた運転手がさっきから一言も発しないのが気味悪い。

ワゴンから見える景色は牛や赤茶けた大地ばかりで、むっとする熱気と合わせて「インドに来たんだ!」という実感が湧いてくる。



小一時間ほど走った気がする。

外はもう真っ暗だ。


「コンノートプレイスにはあとどのくらいですか?」

田中君が尋ねた。


コンノートプレイスとはインドの首都であるデリーのさらに中心に位置する、いわば「インドのへそ」とも言うべき場所である。

地価もインド一高いらしく、日本でいえば銀座みたいな所だ。

コンノートプレイスからはサークル状に各方面へ幹線道路が伸びており、どこへ行くにも便利なのでデリーに着いた旅人はとりあえずコンノートプレイスを目指すのだ。


「今日はスペシャルホリデーだからコンノートプレイスへ行く道は全部封鎖されてるんだ」

意外なことを客引きは言い出した。


「スペシャルホリデーて何ですか?」

僕が聞くと、客引きは「年に何回かのヒンドゥー教のお祭りを今日やってるからコンノートプレイスへ行く道が全部封鎖されてるんだ。ほらね」と言って、窓の外の大きな柵とその両側に立っている警備員のような人達を指差す。

「あれって大使館の門と門番じゃないのか?」

田中君は疑問を投げかけるが、確かに言われてみると警備員のような人達がたくさんおり、なんとなく道路が封鎖されていないでもないような気がしてくる。


「仕方ないからちょっと事務所に寄って対策を練ろう。ラッキーなことに、うちの事務所には日本語を喋れるスタッフもいるから」


客引きの言葉に嫌な予感が頭をもたげる。

「おいおい。これはちょっとまずい展開なんじゃないのかい」

彼らを信用しきっていたのでここがどこだかわからない。


僕らが「コンノートプレイスに行ってくれ」と頼んでものらりくらりとかわされ、ワゴン車は街角の小さな事務所の前に横付けされた。


その時、はじめてそれまで無言だった運転手が口を開いた。

「一人だけ降りな」

僕は背筋が寒くなった。

一人だけ事務所に連れて行き日本語のできるインド人に事情を説明させるらしい。


「No!」

精一杯抵抗するが、車のエンジンを切られては抵抗するすべがない。

「バラバラにされたら弱気になるから二人で降りよう。何を言われても絶対強気でいくぞ」



僕は客引きが事務所に寄ろうと言った瞬間、『地球の歩き方』のトラブル集を思い出していた。

そこには空港からプリペイドタクシーで「Tourist Center」に連れていかれ、ツアーを組まされたり1泊目のホテルを超高額で予約させられた、といった読者の投稿が載っていた。

僕らはそういったことを防ぐために、あらかじめ1泊目だけはYWCAの宿を予約していたのだった。



事務所に入ると日本人が笑顔で彼らと写っている写真や、日本語で書かれた「この人たちはいい人たちだから安心です」といった内容の手紙を見せられたが、もちろん信用するわけがない。

しばらくすると、奥の部屋から日本語を話せるというインド人がやってきた。


「どうしましたか?」


拍子抜けするような挨拶だったが、僕らは半ギレ状態である。


「はやくコンノートプレイスに連れてけとこいつらに言ってくれ!」

僕は自分でも興奮しているのがよくわかった。


「なに言ってるんですか。ここはもうコンノートプレイスですよ」

と言ってその怪しげな日本語を話すインド人は、机の上の地図を指し示す。


「じゃあはやくYWCAまで連れてけ!連れてかないと金払わないぞ!!」

今度は田中君が怒鳴りちらす。


僕らはしきりに「ノーマネー」という言葉を使い、彼らの要求には頑として耳を貸さなかった。



「こいつらと話してても埒あかねぇよ。行こうぜ」

僕より興奮している様子の田中君が外にでる。

「しょうがない。暗くてよくわかんないけどリキシャーでもつかまえてYWCAまで行ってもらおう」

僕が道路にでてリキシャーを探し始めると、さっきの運転手が近づいてきて親指を立てて例のワゴン車を指さした。

どうやら「乗れ」というジェスチャーらしい。


「YWCAに行ってくれるのか?」

僕が聞くと、運転手は「ああ」といった感じで首を横にかしげる。インド人は同意を示す時に首を横にかしげるらしいことを、昔なにかの本で読んだことがある。

普段首を縦にふる時は「同意」で横にふるときは「否定」だということが染み付いている日本人にとって、この動作はいくぶんややこしい。

僕はもう一度本当にYWCAに行ってくれるのか念を押したが、彼らにとっても空港からここまでただ乗りされちゃあ、商売あがったりなのだろう。


僕らはもう一度、今度目的地まで行かなかったら本当に金は払わないことを確認し、再びワゴンに乗り込んだのである。

Chapter3「YWCA」

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