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ローマ ユダヤ人ゲットー

真実の口から歩いて十分。ローマのユダヤ人街を訪れた。

すぐ近くをテベレ川が流れ、低地で水が入り込みやすく、マラリアやコレラに脆弱だった場所。そんなところにユダヤ人専用の居住区は作られた。16世紀の半ば、当時のローマ教皇が決定した。

居住区以外と自由に行き来するのを防ぐために、一帯を囲む壁まで作られた。外に出るには監視人のいる門を通ってのみ可能で、ユダヤ人であるのを識別できるよう黄色い目印を身につけなければならなかった。夜になるとその門は閉ざされた。壁を作った費用はユダヤ人自身が払わされたという。

今から80年ほど前には彼らに対する迫害政策のため、同ユダヤ人地区から1000人以上が拘束。1500キロ離れた遠くの国へ身柄を移され、収容所へ入れられた。

世界に大禍を及ぼしているユダヤ人問題の解決という名目で、彼らの大部分は殺害。死を免れたのはわずか15、6人に過ぎない(数は諸説あり)。

けれども、ローマのユダヤ文化は死に絶えてはいない。シナゴーグや併設された博物館、宗教を学ぶ学校。そして当時から残る古びた建物や噴水が歴史を伝える。

自身もユダヤ人であるガイドが地区を案内するツアーも用意され、コロッセオやトレビの泉とは違ったローマの姿を伝えている。現代風に洗練され、人気のあるユダヤレストランも一つだけではない。

私の関心をとくに引くのは、所々の建物の前に埋め込まれた鈍い金色の舗石。

一辺が十センチ程度の大きさで、かつてそこに住んでいたユダヤ人の名前が刻まれている。身柄を拘束された日や移送先、そして命を落とした場所も。どこで亡くなったか分からない場合はそう記されている。

ドイツ人アーティストがケルンから始めたこのStolpersteineという試みだが、今やヨーロッパ各国、各都市に広がっている。舗石が置かれた街の数は千を越える。

それは同時に、ユダヤ人が身柄を拘束され、収容所へ送られたという国や街がどれほど多かったかという証左でもある。

静かに佇むその舗石は、気づかずに通り過ぎようとした人がふとしたきっかけで足を止め、stumbling stones という英訳が示唆するように人々に躓きと認識を促している。

かつてユダヤ人たちがそこで生きていたこと、そしてそれが暴力的に断ち切られたことへの想起。見る者の感受性が問われる場。


同じ建物から3人が拘束された。日付を見ると同じ日に。0歳の赤ちゃんまで。
茶色い入口ドアの手前に3人分の舗石が埋め込まれている



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