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電池切れの毎日

 僕が普段している仕事はテレビ番組の制作のため、毎日決まった時間に出勤して退勤するといった決まり事がない。毎日が不規則に進んでいく。8月上旬からのここ数日、僕は長い休みをもらっていた。担当している番組の、たまたま年間の本数の決まっている事情で仕事と仕事の期間の間に空きができただけなのだが、この間に僕は、4度熱を出して寝込み、それからというものなかなか自由に体が動かなくなってしまった。仕事がある日は、特別頑張ることを必要とせずに起きて仕事に行くことができるのだが、何もない日はとにかく起きられない。気がついたら家の近くの私の放送スピーカーから夕焼け小焼けが流れている。それで目が覚める日も少なくない。

 

 小学生の5、6年生の担任の先生が毎朝こう話していた。

「君たちは若いというだけで大きな宝を持っている。私ほどの年齢(詳細はわからないが三十代半ばほど)にもなると、寝て起きたら元気でということがまずない。さらに、体のどこかしらが毎日痛かったり、調子が悪かったり、万全な日などなくなる。元気が宝だということをそのうち実感するようになる。私の今こうして言っていることの意味がわかるようになってくる」

彼は、学年でも「問題児」と位置付けされる生徒が多いクラスを持っていたために(おそらく僕もその一人であったかもしれない。そうでなかったとは言い切れない)、心労が多かったのだろうと思う。今思えば、申し訳なかったと思うことが多々出てくる。彼の言葉にはその時はもちろん、十一、二歳の僕には、あまり意味を理解できていなかったが、今の僕には深く刺さるところがある。寝ても回復しないのだ。疲れが取れないのだ。休みの日には、できるだけ家の中で本を読んで過ごしていたい。どこかに出かけるのは、まあ、温泉くらいならと思うほどだ。それくらいになってしまった。ミレニアムベビーなため、まだ三十路とはいえない年齢ではあるが、十代後半と二年前、三年前に無理をし過ぎたせいか、同年代よりもボロボロであると思う。

 

 最近は眠れない日が多い。二日に一度眠る、そんな日々が続いている。もともと、燃え尽き症候群とか、うつ病になりやすい傾向はあったため、なったり治ったりを繰り返して、上京してからはや五年、生きてきた。体調を崩すのは休みの日が多い。休みの日になると気が抜けるのか、一気に体調を崩す。逆に仕事がある日はどうにか気力で押し切れる。多分、そうやって気力で押し切って来たから、その反動がきているのだろうとも思える。眠れない日には、とりあえず、家の近所を散歩する。夜中にもなるとほとんどすれ違う人はいない。いるとすれば、新聞配達の人か、酔っ払いか、夜勤帰りの人かくらいだ。僕も新聞配達員だったこともあるので、よくわかるのだが、昼間の街の顔と夜の街の顔は全く違う。夜と言っても、日付が変わり、もう少しだけ待てば日が登ってくるかなといった時間帯だ。昼間はどれほど賑やかで、人が多く通る道であっても、街灯しかないとものすごく暗く感じる。人があまり通らない、薄暗い道はもっと暗くなる。たまに人が通ると、相手も自分も人が通ると思っていないことと、本当にぶつかるほど近づくまで視認できないため、お化け屋敷よりも余程驚く。

 朝を迎えたら、なんだか眠いときとよく似た状態に体がなってくるが、寝ようとしても眠れない。こうなることは毎度わかっているので、いい加減に学んだ僕は、初めから寝ようとはせずに本を読む。または映画を見る。ちょうどいいところまで進んだ頃には、街が起き始める。起きて、人間が活動を始める。そんな時間になる。そうして僕はようやく、世界と一緒に活動を始める。起きて、仕事を始める。だが、寝てないので、あまり捗らない。でも、かといってやらなければならないし、何もせず起きていても、時間が過ぎていくだけなので、少しでも仕事を進める。そうやって、重い体とボーッとした頭で仕事をしていると、小学生の頃の担任の先生の言葉が脳裏に浮かぶ。おそらく、文章そのままを覚えているわけではもちろんないとは思うけれど、おおよそ、同じ内容で、疲れているようにも、僕たちを羨むようにも、自分に言い聞かせるようにも聞こえるような話し方で言っていた。

 小学校を卒業してから一度、その先生には再会した。一度だけだった。彼は僕のことをよく覚えていてくれた。本当によく。毎年多くの生徒を見ているだろうに、多くの会話をするだろうに、よく覚えていてくれた。嬉しかった。僕が、言われるまで忘れていたギャグ(小学生のいうギャグではあるが、祖父の仕込みにより僕はかなり対象年齢が老齢なギャグを言っていたのだとその時に気がついた)や、そのほかの何気ない会話も覚えていてくれていた。毎日何かしらでトラブルが発生し、誰かしらを叱っている、そんなクラスでそんなクラスの担任の先生だったけれど、僕は、強く心に残りこうしてあの頃の倍の年齢になった今でも思い出して書いているというほどには、活きていた記憶なのだろうと思う。

 

 そんな先生が昔話していたことが理解できるくらいに疲れを知るようになった僕は、大人になったのか、歳をとっただけなのか。仕事をしているし、いろんな人と出会って、それなりの経験もしてきた。今までの経験だと、こんな感じで疲れた時は、ゆっくりと仕事をしながら、休んで、リハビリをしていく、それしかないのだけれど、ここまで書いて、先生のまた別の言葉が思い浮かんだ。

「生きるということは、それだけで本当にやるべきことが多くある。本当に数えきれないほどに多くある。減らしても減らしてもどこからか湧いてくる。それを共有できる、協力して一緒に対処できるような人が本当の友人で、本当に大切にするべき人なんだ」

僕は、誰かにとってのそのような人になれるだろうか。電池切れが治ったら、もう一度目指してみよう。

 

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