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『なぜワカメだったのか、それぞれが思う今後の展望』

人口減少・少子高齢化に伴い、地方自治体や第一次産業の担い手不足が、昨今叫ばれています。そんな中、移住者として第一次産業に新規参入された近藤亮一さん、三浦尚子さん。

移住を決めた理由、農業・漁業を始めたきっかけ、実際に第一次産業に携わりながら生活の中で感じたこと…。
農業と漁業。同じ「第一次産業」ですが、異なる関わり方で日々自然と向き合うふたりがどのようなことを思い、暮らしを営んでいるのか…対談を通じて紐解いていきました。

暮らしの延長線上にある「第一次産業」が、本来身近な存在であることを連載を通じて再確認する機会になれば幸いです。

【プロフィール】

photo:藤田和俊

語り手・近藤 亮一
自然栽培米農家。妻とふたりで禾(こくもの)を営みながら、現在岡山県蒜山中和村にて5歳の息子、1歳の娘、4匹のネコたちと共に暮らす。小さな本屋と稲作の歴史が好き。

禾 kokumono


photo:飯塚麻美

聞き手・三浦 尚子
ワカメ生産者 / 編集者 / ura
神奈川から陸前高田へ移住、漁業の世界へ。2020年から生産者としてワカメ養殖をはじめる傍ら、ライフスタイルブランド"ura"を立ち上げる。現在、ワカメの廃棄部分からアップサイクルしたシャンプー・コンディショナーの企画開発・販売も行っている。

三浦 尚子 / Hisako Miura / ura|note


以下(こ)‥近藤さん、(み)‥三浦 として表記


自分たちがいま、未来のためにできること

(こ)最後に聞いておきたかった事としては、そもそも何でワカメだったのか。

移住されて海と出会ったときに色んな選択肢があったのかなとかと思う中で、自分は野菜や家畜、果樹…とある中で米を選んだ理由がはっきりあるけれど、三浦さんは何でワカメだったんだろうという事と、今後について気になっています。

僕の話をすると、高齢者がすごい多くて、移住者がちらほらいるにせよ、到底そんなレベルでは賄いきれないきれないほどの農地が広がり、しかも全国的にそうなっている。

photo:藤田和俊

田んぼって水路で繋がっていて、水路がないと田んぼって作れないんです。でも水路はコンクリートのパイプみたいなのでできていて、ある程度の期間で交換しなきゃいけないし、詰まったりするから、基本ずっと管理しなきゃいけないんです。

機械では現状管理が難しいので、人手が必要。今はギリギリどうにかなっているけれど、あと5年、10年後にはどのくらいの人と時間がかかるか。そもそもそれができないと米を作れないので、今までは好きな場所で作っていたけれど、将来的にはもしかしたら残った人で、限られた水路と田んぼで維持していくのかなとも思っています。

とりあえず自分ができることは、とにかく続けていくこと。
もしかしたらそれにいいねって言って外から誰か来るかもしれないけど、今までできたことができなくなることは十分にあり得る気がしてるんですよね。

海もやっぱり高齢者が多かったり、組合で人手が必要なことも多いと思います。だからこれからどういう風に向き合っていくというか、どんな気持ちなのか聞いてみたいです。

(み)まず1つ目のそもそも何でワカメだったかっていうところから。
私が住んでいる土地は東日本大震災があったんです。震災があった頃、ちょうど私は大学生で、震災のボランティアに私の所属してたゼミで来たのが、陸前高田に来たきっかけでした。そのときは仮設住宅で地元の方のお話とかを聞く、傾聴ボランティアをしてたんです。

その仮設住宅の自治会長さんの本業が漁師で、ワカメの養殖をしている方。大学卒業するタイミングぐらいの時に、ワカメの収穫で人手が必要なんだけど誰かいないかなみたいなのをゼミの先生に言ったんですよね。そしたら「三浦さん行かない?」みたいな感じで言っていただいて。

それまでは仮設住宅には行ってたけど、海には行ってなかったから漁業も全然接する機会もなかったし、全くゼロの状態。とりあえず「お手伝いにいくぞ」と思って、1ヶ月ぐらいワカメの収穫から加工・出荷の箱詰めっていう一連の工程をお手伝いさせていただきました。それが一番のきっかけですね。

一度実家に帰ったけど、もう一度帰ってもうちょっとやりたくなって。みんなと離れるのがちょっと寂しいなとか、あんなに毎日海を見てたのに、海の見えない場所に帰るのかとか思って。もうちょっと色んな事を知れたらいいなと思い、1週間後ぐらいにまた戻ってきたんですよね。で、そのまま気づいたらずっと仕事をさせていただいて、自分でもやってみたいと思い、独立して今に至るっていう。

この辺の地元の方で言うと、ワカメの作業はすごくきつくて大変なんです。短期間で収穫、出荷時期も短期間なので結構過酷なんですよね。短期集中型なのでみんな大変だと思う中で、私も大変だったけど、なんか面白いなっていうのがなんとなくあって。そのときの自分の状況もあるけど、結構必死だったのもあって、ガムシャラに働いて、皆さんにお世話になりながら色んなお話をしつつ、作業するのがなんか良くて。

独立するにも結構ハードルが高いですけど、漁業権を得るときもお世話になってる方々がサポートしてくださって。私のワカメの作業がないときは、その方々の下で作業をしてるので、やれることはやっていきたいなと思う。できればサポートしていただいた分サポートしたい気持ちがあります。今後もやっていきたいと思っている部分です。

今後どうしていきたいかという部分では、私の仕事って基本生産する部分がメインなんですけど、「伝える・発信する」部分もやっていきたいと思っていて。

結構コロナのタイミングで新規で始めたい、あるいは始めた漁業者の方がすごく増えて、地元の子や移住してきた子が少しずつ始めやすい環境にはなってきてる印象がいまあって。そういう子たちが続けていけたらいいよねと思いつつ、移住者の中では割と初期の段階に始めてる私がまず続けていけないと他の人たちも続けていけないよね、ってすごく思っている感じはあります。

そこを気負うわけではないけど、でも続けていくことで、いま後輩として頑張っている人たちが頑張りやすくなるかもとも思うので、やれる形ではどんどんやっていきたいですね。

やりたいことはいっぱいあるけど、生産があって、まず育てる部分がちゃんと成り立って、次の販売に行くのかなと何となく思っていて。だから、まずは生産をきちんと整えてから次の段階に行きたい気持ちもあるので、いま頑張っていきたいところは生産なのかもしれないです。

発信や販売を通して、ハードルを下げるって結構大事だなと思っていて。「難しそう」とか「よくわかんない」みたいな感覚があるとやっぱり触らないと思うから、「海の仕事してるけど、シャンプー作って販売してる人もいるよね」とか「海の仕事してるけど、文章出してる人もいるよね」とか、海の仕事だけに縛られないで色んな事やっても全然オッケーなんだと思ってもらえたら、ちょっとハードル下がるかもしれない。

男性のイメージあるけど、女性でもできると思ったらハードル下がるかもしれない、おじさんばっかりかもしれないって思っても、若い人もいると思ったら、それもまたハードル下がるかもしれない。

私が続けることによってハードルが下がる部分があるなら、もうちょっと頑張れる部分があると思っていて、それが回り回って、もしかしたら10年後とかにもうちょっと若い人がやっていたら嬉しいとかは思ったりします。

でも気負いすぎると大変だから、自分自身が楽しむことがまず一番。楽しんでやれる中でやっていけたらいいなとは思いますね。ハードルは下げていきたいと思います。

(こ)いまされてるお仕事に、もっと関わる人が増えるとか人が来てもらうとか、それがやっぱり嬉しいと思うし、高齢者の方も一緒に仕事してると元気もらえるみたいなのはあると思う。こっちも孫みたいな感じで接してもらうとすごい嬉しいから、お互いに多分いいんじゃないかなとも思います。

例えばワカメの生産とかの仕事が続いて欲しいという気持ちなのか、自分が純粋に他の人が増えてワイワイできたら楽しいし嬉しいよねみたいのだと、どの辺が大きいですか?

photo:飯塚麻美

(み)職業としてちゃんと残ってて欲しいって感じがありますね。漁業は陸前高田の中では結構根幹産業なんですけど、このままいくともう本当に人がいなくなるんだろうなっていうのはあって。
実際、漁業者400人にとったアンケートもあるんですよね。10年後とかに多分半分ぐらい減ると言われていて、この10年が結構勝負みたいなとこあると思っていて。

別に使命感でやってるわけじゃないけど、このままなくなっていくのはもったいないって思うし、できるならやっていきたいなと。
単純に自分が好きだからっていうのがあるかもしれないけど、でも半分も減るんだと考えたときに「そっか、10年後そんなにいないのか」と思って。

photo:飯塚麻美

20年、30年後まで考えたらずっと続けられるかは、ちょっと分からないけど、いまの段階としてはそう思うから、続けられるだけ続けられたらいいなとは思います。もし自分が今後子どもが欲しいとかっていう風になったらまた話が変わるかもしれないから、そこをどうしたらいいかなみたいなことは思ったりしますね。そこは難しいなと思ったり。

すごい大きいこと言った感じはするけど、できることは多くないから、まずいま自分がやってることをコツコツやっていく。続けていることに多分意味があるので。


***


今の産業を残していくためにできることとして、おふたりとも「続けること」を挙げていたのが印象的でした。

その地域の産業を続けることは、同時にその地域を残すことにも繋がるように感じます。
今後もおふたりが、それぞれの信念を大切にしながら紡ぐ日々があたたかなものだといいなと感じました。

(文章・山本瑞紀)


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