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【BWV 232】バッハ作「ミサ曲の最高傑作」と

本日の日経新聞に、気象予報士の長谷部愛さんという方が連載寄稿されている ”冬空の気象学(6)ヤーコプ・ファン・ロイスダール「枯れ木のある冬景色」” という記事で紹介されていた絵画に目が留まりました。


「なんとも物悲しい冬を表現しているな」と、感じると同時に、そのような冬を好む私としては、ロイスダールという人物のことが気になりだします。

ロイスダールの生涯について知られていることは少なく、「オランダ絵画の黄金時代」と言わしめる、レンブラントやフェルメールが活躍した17世紀に、もっとも重要な風景画家と見なされるのがロイスダールなのだそう。

17世紀オランダ絵画の特色の一つには、風俗画、風景画、静物画あるいは教会の内部なかりを描いた画家など、画家によって専門分野が分かれていたこととされており、そんな西洋絵画史において「風景画」は、「歴史画」や「肖像画」に比べて伝統的に一段低い位置に置かれていたといいます。

ですから、独立したジャンルとしての「風景画」の成立は17世紀オランダに始まると考えてもいいようです。

では、なぜそんな17世紀のオランダにおいて風景画が栄えたのか?

その背景には、中産市民階級の勃興があるようですね。カトリック中心のスペインによる支配から独立を果たし、プロテスタントの共和国であった当時のオランダにおいては、海外貿易による富を背景として富裕な中産市民層が勃興していきました。教会や大貴族に代わって、新たな絵画の注文主・享受者となったのが、中産市民階級というわけ。

そんな彼らの家屋を飾るにふさわしい絵画とは?そう、大画面の宗教画や歴史画よりも、より小規模な風俗画、静物画、そして「風景画」が選ばれた、という風に見られているようなのです。

さて、ロイスダールは森林、海岸、田舎道などさまざまな風景を描いていますが、国土が平坦で起伏の少ないオランダの風景においては、必然的に空と雲が重要な要素になります。だから彼の風景画は、地平線を低めにとって、さまざまな空と雲の表情を描写し、光と大気の効果を追求したものが多い。

1650年代や1660年代には、平坦なオランダの風景と異なる北欧の海や滝のある森を描いた風景画を描いて人気になったアラールト・ファン・エーフェルディンヘンという人物の影響を受けて、滝のある風景も描いたといいます。この記事のサムネイルに使用させていただいているのが、その一つです。

彼の絵については、以下のリンク先にて数多くの作品が販売されています。興味のある方は覗いてみて、もしも気に入った作品があればご自宅におひとついかがでしょう?本記事でも後半でいくつかちょこっとご紹介させていただきたい(紹介したのでご容赦くださいませ)と思います。


さて、教養のある鑑賞者であれば、彼が「木」に興味深いこだわりを持っていることを発見するでしょう。オランダの画家たちが樹木を装飾的な構成要素として使っていたのに対し、創造性豊かなルイスダールは、樹木を絵画の主要な主題へと昇華させています。彼の描く樹木は、力強い強さが特徴です。また、細かく正確にスケッチしていることも見て取れます。

1650年の後半以降になると、ルイスダールの色調は明らかに明るくなる。彼は自分のルーツである生まれ故郷のハールレムの景色へと、その関心を戻していく道を見つけたのです。絵画は主に、地平線の低い平坦なオランダの風景を描いた大規模なパノラマを描いています。ヴァン・ルイスダエルの晩年の油彩画で支配的なのは、広く青々とした曇り空だといいます。

たしかにそうだと感じる私は、しかし彼の描く「水」にこそ、もっとも強く惹かれます。水しぶきや波しぶき、水のある風景の美しさに心を奪われる。半日ずっと眺めているものですから、どうも好きになったようです。

「いい絵画だなあ」

こうした感情が湧いてくると、どうしても「素晴らしい音楽を聴きながら、美しい絵画を堪能したくなる」のが人情というものではないでしょうか?

では「どんな音楽と一緒に聴こうかな」と、私の手元にある大量の「ノート」をパラパラとめくっていくと・・・なんと、オランダには「大作曲家がいない」という事実に気が付き、驚愕します。

クラシック音楽については初学者である私が知らないだけかもしれません。しかし、ロイスダールが活躍した17世紀にオランダで生まれ、後世に名を残した大作曲家はかなり限られているようです。

なぜなのでしょうか?と、こう考える時、宗教、商業、政治などのリベラルアーツを学んでいて良かったなあと、つくづく感じますね。

よく考えてみれば、オランダは宗教改革の影響を受け、カルヴァン派のプロテスタントが主流でした。ですから音楽は「宗教的禁欲主義」の影響を受け、教会音楽が栄えるわけがない。代わりに世俗的な音楽が流行ったようではありますが、教会音楽が主流だったバッハやヘンデルのような大作曲家が育つ環境が少なかったと考えるのが妥当でしょう。

では、その頃のオランダといえば?オランダ東インド会社でしょう。17世紀から18世紀にかけて世界有数の「商業帝国」を築きましたよね。オランダは商業の成功にこそ力を注ぎ、その資源を芸術や文化に再投資することが少なく、なかでも当時において「持ち運びができない音楽」というのは、商品価値が高いと見なされることは、ほとんどなかったのではないでしょうか。

オランダの交易ネットワークはヨーロッパ全土に留まらず、アジア、アフリカ、アメリカに広がっており、多文化的な影響を受けた生活様式や装飾が「絵画」に反映されました。静物画には異国からの珍しい果物や陶器が描かれることが多く、これは商人たちが貿易の成功を誇示する手段でした。

こうして、アムステルダムなどで絵画を中心とした美術が台頭し、商人や市民層が絵画をステータスシンボルとして収集するようになっていきます。

・・・時は流れ、絵画に遅れをとること二世紀、19世紀末になって遂にアムステルダムに設立されたコンセルトヘボウ管弦楽団が設立。オランダはこの頃になって初めて、音楽で国際的な評価を得る場となります。

要するに17世紀、音楽はビジネスの大波に乗ることができなかったのですね。これって、お隣の韓国が国を挙げて米国のビルボードを席巻したのに対して、ドメスティックの広告主に徹底的に媚びを売り続け、グローバルに目を向けきれなかった日本のエンターテイメント産業を彷彿とさせませんか?

もちろん、歴史をミクロに捉えて現代だけに射程を絞るのであれば、日本の漫画とアニメだけはその限りではありませんが、今回は「音楽の話」です。

そういうわけで商業中心のオランダには、むしろ外国の作曲家が稼ぎに来る場所であったと、そう考える方が自然かもしれません。1703年にはヘンデルが、1765年にはモーツァルトが、1840年にはリストがオランダの地を訪れ、演奏をしています。

ですから音楽の需要そのものは間違いなくあったはず。約200年も後の時代、コンセルトヘボウでマーラーが楽団を指揮し世界的な名声を得ていくわけですから。もしかすると数百年のあいだ、大作曲家が生まれにくい自国の土壌に対する忸怩たる思いも、多分にあったのではないでしょうか。

いやあ、胸が熱くなりますね。よかったです。そして、お疲れ様でございました。・・・では終われません。で、何を聴くのか?

ここで登場していただくのが、ChatGPTです(結局こうなる)。

ロイスダールの冬景色を鑑賞しながら、バッハの「平均律クラヴィーア曲集第1巻よりプレリュードとフーガ第24番ロ短調(BWV 869)」を聴くと、視覚と聴覚の両方でその時代の精神性を感じられるでしょう。この曲はロ短調の深い情感と秩序ある構造を持ち、ロイスダールの自然観と共鳴します。

Chat-GPTo1

「おっ!「ロ短調!?(ピコーンツ!)」


ミサ曲ロ短調(BWV 232)と調和しそうか?

弟子や追随者が後を絶たなかったと言われているロイスダールは、1628年頃に生まれ、1682年没していると見られています。彼に対して、ヨハン・セバスティアン・バッハは1685年の生まれです。

さらに、ロイスダールはオランダのハールレムで活動をしていたのに対して、バッハはドイツのライプツィヒです。その生涯キャリアをドイツで築いたバッハが、ロイスダールの作品を知っていた可能性は・・・低い。

600Kmというと、東京~青森間くらいあります


それでも、ロイスダールとバッハはどちらも17世紀後半から18世紀の北ヨーロッパに生きた人物であり、どちらもプロテスタント文化の影響を濃く受けています。ロイスダールの風景画には、自然を神聖視するプロテスタント的感性が表現されており、バッハの宗教音楽にも同様の精神性が見られます。

しかし彼らの作風を見てみると、ロイスダールの作品が抑制のきいた色使いの妙を伝える(ように私には見える)のに対して、それとは異なりバッハは自身を「対位法の大家」というブランド化し、大衆には理解しがたい複旋律音楽、つまり沢山の音が同時に鳴り響く難しい音楽を作っている、という点がまったく異なっている。

「おお、そんな異なる精神性を有している(ように私には見える)二人の作品を、同時に堪能てみようではないか!」

ロイスダールが神についてどう考えていたかはわかりません。一方のバッハ、こちらで紹介した書籍にも書かれていましたが、バッハはキリスト者として、「神様にだけは自分の音楽は理解してもらえると信じていた」そう。


そんな二人の作品が、地上的には意見を異にしていたとしても、神的な部分では融合し得るか、否か。

私の中でどう感じるか。

いざ、堪能しよう。


こういう解釈で両者を堪能してみる

BWV 232、すなわちバッハの『ミサ曲ロ短調』は、バロック音楽の最高傑作のひとつであり、西洋音楽史においても特別な作品です。

1750年にこの世を去る前年である1749年、つまりバッハの晩年に書かれた曲です。構成は、カトリックのミサ典礼文に基づく5つの主要部分(キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイ)から成ります。言語はラテン語で、演奏時間は約2時間ほどです。

『ミサ曲ロ短調』は、ルター派のプロテスタント教会に属していたバッハが、カトリックの形式に基づいて作曲した点でも特異です。純粋な宗教的祈りの表現というより、音楽の普遍性を追求した結果と考えられています。


1.キリエ(Kyrie)— 冬

「主よ、憐れみたまえ」の祈りを歌う部分。三部構成で、深い悲しみと懺悔の念を表現しています。

第一部「Kyrie eleison – 荒れた海のような重々しさ(副題の命名は私の解釈を言語化)」では、ポリフォニーの厳格な対位法が展開され、荘厳で重厚な雰囲気が感じられます。

最初のフーガ部分は、厳粛で重厚な響きが特徴で、真冬の荒波が渦巻くような感覚を呼び起こす。各声部が次々に重なり合うことで、押し寄せる波のような音響効果を生み出されている。深刻さを伴う短調の旋律が、暗い海の広がりや、不安定な嵐のイメージを想起させる。ゆっくりとしたテンポが、不気味で圧倒的な力を持つ自然の動きを連想させる。

この部分は、「神に憐れみを求める必死さ」が音楽に込められており、自然の荒々しさと人間の無力感が重なり合う感覚を生む、と解釈してみます(おわかりの通りすべて自己満足でしかありませんが、なかなか悪くない)。

桟橋で荒れた海


第二部「Christe eleison – 嵐の合間の静けさ」では、デュエット形式が用いられ、明るく優美な調べに変わります。

ここでは、荒雪に突然訪れる静寂や、美しい光の瞬間を感じることができます。ソプラノとアルトの声が織りなす優美な旋律は、厚い雲の切れ間に見える希望の青空を思わせます。前半の荒々しさから、穏やかで希望に満ちた音楽への転換が、自然の中の一瞬の平穏、厳冬の中の暖かみを感じさせる。

冬の風景


第三部「Kyrie eleison – 嵐のクライマックス」再びフーガ形式に戻るこの部分は、荒々しさが一層増し、嵐のピークに達する感覚が味わります。

ますます声部が複雑に絡み合うことで、まるで海が完全に荒れ狂っているような、反対に落ち着きを取り戻さんと抗うような緊張感を作り出す。各声部が独立しつつも統合されることで、自然の中に渦巻く混沌(カオス)と、動的平衡を齎さんとする秩序(ノモス)が同時に表現されている。


2.グローリア(Gloria)— 春

「天のいと高きところに栄光あれ」と神を賛美する部分。華麗で祝祭的な音楽が特徴。

12曲の小部分に分かれ、トランペットやティンパニを含む華やかなオーケストレーションが印象的。「Et in terra pax」(地上に平和を)では対比的に穏やかな響きが聴ける。

小川が溶けた雪で勢いよく流れ出す風景をイメージしてみる。トランペットやティンパニが祝祭的な明るさを強調し、生命の喜びを表現しています。

小川がある森の風景


Mountain Torrent


水車のある丘陵の風景


トレントによる教会のある風景


3.クレド(Credo)— 夏

「我は信ず」の信仰告白。9つの小部分で構成され、生命が満ち溢れる夏のエネルギーと、神学的テーマが展開されます。

「Credo in unum Deum」は力強いフーガ形式。「Et incarnatus est」では、キリストの受肉が神秘的な深い森を音楽で描写する。「Et resurrexit」は復活の喜びが劇的に表現され、聴衆を圧倒します。太陽の光が強く照らし、草原が黄金色に輝く景色が広がる。力強いフーガと緻密な対位法が、夏の盛りの充実感や活気を象徴しているかのようです。

麦畑


麦畑のある風景


ウィートフィールド


グレートフォレスト


滝のある森の風景


夕暮れ時に森の沼


岩の多い風景の中の滝


高い崖の上に城がある川の風景


丘の上の教会


4.サンクトゥス(Sanctus)— 秋

「聖なるかな」の賛歌。六声の大規模なフーガが展開され、天上的な広がりを感じさせます。

壮大な響きと流れるような音形が特徴で、神の栄光を描写。「サンクトゥス」は、秋の成熟した美しさを表現しています。

ハールレム近くの田舎の漂白場


滝のある風景


水車小屋


水門のある樹木が茂った川の風景


ペントハイム城


水上コーチ


5.アニュス・デイ(Agnus Dei)— 冬

「神の子羊よ、世の罪を除きたまえ」の祈り。悲しみと癒しが織り交ざった音楽で、作品全体を静かに締めくくります。

アルトのアリアが特徴的で、深い哀愁を湛えています。「アニュス・デイ」の悲しみと癒しを感じさせる音楽は、冬の静けさと再生の予兆を秘めています。雪が降り積もり、大地が静まり返る中で、また春の訪れを待つ。アルトのアリアによる静かな祈りが、寒さの中に宿る温もりや希望を感じます。

冬の景観


冬の風景


冬、南を見て、ヘケルフェルト、アムステルダムの景観


ユダヤ人墓地


それでは音楽をどうぞ


ジョン・エリオット・ガーディナー(John Eliot Gardiner)指揮、モンテヴェルディ合唱団(Monteverdi Choir)および、イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(English Baroque Soloists)による演奏。


1969年9月、ディーセン、クロスター教会 指揮。カール・リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ管弦楽団。演出に、アルネ・アルンボム。ソプラノはグンドゥラ・ヤノヴィッツ。アルトにヘルタ・テッパー。テノール、ホルスト・R ・ラウベンタール。バス、ヘルマン・プライ。


最後に、オランダ・バッハ協会(Netherlands Bach Society)による演奏で、長年にわたりオランダ・バッハ協会の音楽監督を務め、バロック音楽の権威として知られる、ヨス・ファン・フェルドホーフェン(Jos van Veldhoven)が指揮を担当したアンサンブルのご紹介です。

この協会は、世界最古のバッハ専門の音楽団体で、1921年に設立されました。バッハ作品の演奏と普及を目的とし、バロック音楽を中心に活動しています。現在、プロジェクト「All of Bach」を通じて、すべてのバッハ作品の演奏・公開を目指し活動しています。


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