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教育を受ける権利は平等にあたえられていない~真面目な子を病ませる学校

教育を受ける権利は平等に与えられていない

娘が起立性調節障害で午前中動けなくなり学校へ行けなくなるまで、私は日本のすべての子どもに教育を受ける権利は当たり前に与えられてると信じて疑ってさえもいなかった。

しかし、いざ午前中動けなく午後からも体調がよい日にしか動けなくなり、その間の授業を受ける方法を担任の先生に相談するも大した対応もない様子。よくよく考えてみると、学校というものはそこへ朝から通うことが前提となっているので、病気や何らかの理由で学校へ通うことが出来なくなった子どもにはこの当たり前だと思っていた権利すら与えられていないことに今更ながら気づいた。

しかも学校関係者はそのことに気づいていないのか、あるいは気づいていてもどうしようもないから気づいていない振りをしていのか全く対応策を練っていない。

公立中学はその地域の教育委員会によっても考え方は違うので私達親子がたまたま運の悪い地域なのかも知れない。(むしろそうだと思いたい。)理想的には日本のどこに住んでいても最低限の教育はどのような状況の子どもにも受けられるようにしてもらいたい。

学習する場を何らかの方法で与えてもらいたいとお願いするも大した案も出てこず心ある2,3人の先生がテスト前の放課後家庭訪問して少しテスト範囲の説明をして下さったくらい。

そのような中でも娘は勉強はしたいので自宅でできるスタディサプリやZ会で一人で勉強はしていた。学校からは最初休んだ日に近くの同級生がその日の授業で使ったプリントを持ってきてくれていました。その後、ほぼ学校へ行くこともなくなったため毎日来てもらうのも悪く感じ、私のほうから学校へ週に1度くらいにまとめて持ってきてもらうようお願いをした。授業の内容を教えてもらえないのであれば他にも不登校な子も各クラス1.2名学年で約10名いるのだから要点をまとめたプリントをもらえないかとお願いしたが、それもできないと言う返事しかもらえませんでした。それでも提出物は出すように言われ、受けてもいない授業のノートを写していました。だんだん娘もその写経のような勉強に何の意味もないことに気づき時間の無駄だと言い出す始末。それなら自分でまとめて理解したことをノートにまとめて提出した方がマシだと言うので担任に相談してみるとそれではノートの評価ができないとのこと。この人達は学習を何だと思っているのだろう。たとえ授業を受けていたとしても先生が黒板に書いたことを一字一句間違えず綺麗にノートに書くことに何の意味があるのだろう。理解をするために自分流にノートをとることのほうが学習だと思わないのだろうか。

このあたりのやり取りから私は先生へまた学校へそして日本の教育システムに疑問を感じるようになりました。(この疑問に関してはまた別の機会に書いていきたいと思います。)


真面目な子を病ませる学校

ノート提出は授業をきちんと聞き、先生が黒板に書いたことを一字一句間違いなくノートに写したものを提出することで評価をする。先生の好みもありカラフルにした方が良い評価になる先生、言葉の意味など補足を記入しておくと良い評価になる先生など娘に聞いてみるとそんなことまで気にして各教科手を抜かずやっていたのかと思うことばかり。

そればかりでなく現在の中学は成績をつけるためにノート提出、授業態度、実技…それぞれ細かい採点基準があるようです。娘はその採点基準を細かく理解しそれぞれの先生の好みも分析していました。これはすべて高校受験には内申書があると聞いて自分なりに対処するためにやっていました。私はそれを聞いただけでもしんどくなりました。

そしてよく考えてみたらこれは先生の業務量もとんでもない量だとどんな人でも想像が出来ます。どうしてこんなことを何年もやってきたのでしょうか。細かい基準がないのに成績をつけると親が文句を言うからでしょう。でも、どうして親は文句を言うかというとそれは内申点で行ける高校が決まってくるからです。それならもう内申点なんてやめて試験一発勝負にすればよいのではと私は思います。推薦入試には内申点は必要だか一般入試は試験一発勝負の入試にするべきだと思います。

先生の働き方改革が叫ばれている昨今、これらの考え方を変えただけで先生の業務量も著しく減るのではないでしょうか。そうすれば本来の先生がするべき業務である子どもへ勉強を教えること、また学校へ来れていない子への学習支援ももう少し出来るのではないでしょうか。

不登校になった娘は中二の間は何とか少しは授業に出たりしていたのでそれほど成績も下がりませんでしたが、中三になり4.5月の授業しか受けることが出来ず試験は遅刻して受けることも出来なかった教科もあるものの受けた教科に関してはクラスで1番の点数でした。それでも成績表では「1」となりました。出席ありきの成績。相対評価ならそれでも仕方が無いと思えるのですがこの学校はかねてより絶対評価を謳っておりました。心も体も健康で家庭環境を見ても勉強ができるはずなのに何の努力もせず授業も受けていないのであれば「1」で仕方が無いだろうが、少なくとも心へのストレスが大きく関わり健康でない状態の子どもが自分の今出来る限りの努力をし、テストも何とかして受けに行った。にもかかわらず何の迷いもなく「1」を付けてくる先生の神経、意図が全くわかりません。これでは自殺する中学生が後を絶たないのもわかる気がします。案の定娘に話をすると「それなら何もしなくても同じ結果だったんだから勉強するなと先生は言っているみたいなものだ」と。「自分は教えることを放棄しておいてそういう評価をするならば評価不能にしてもらったほうがマシだ」と。

不登校と一口に言っても様々な理由がある。

病気、いじめ、友達関係、家庭の事情、勉強がわからない、クラスになじめない、クラブがイヤ……

本当は学校へ行きたい子、行きたくない子

勉強がしたい子、勉強はもう二度としたくない子

それぞれの事情を考慮してチャンスを与えた上で成績を付ける。それが出来ないのであれば評価不能が正しいのであろう。

ただ、現在の高校入試では内申書に成績が絡んでくる。先に述べたように内申点なし試験一発勝負などここでまた不利にならないような対策をしてもらいたい。

人間は何度でもやり直せる。

このことを教えることこそ教育であるはず。今一度学校に携わっている方々は考えてみてほしい。


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しろくま
ご支援いただければ嬉しいです。何らかの理由で学校に行けず困っている子どもたちやその周りの人と繋がり、自由に生きてよいし、何度でもやり直せるということを広めていきたい。