精神を患うと言うこと。
“ガッチャン!バッキンー!このくそ野郎!“
そう言いながら、部屋にあった空き缶とペットボトルに向かって罵倒し
私に道を作ってくれている。部屋に入る前の廊下が、空き缶と空のペットボトルだらけだ。
今日会うのは2回目。その言葉も、もう怖くはない。
逆に、その言葉を吐きながら、空き缶やペットボトルに八つ当たりをしている意味を理解すると、涙が出てきそうにもなった。
その言葉の裏には “つらいんだ” と言っている様にしか聞こえなかった。
理解をすると、そんな感じに取れる。
精神を患う前の話を聞くと共通をしていることが多くある。
家庭で父親と言う存在が“君臨“をしていた。
皆、怖い体験をしている。それは…
・母親が、父親に殴られているところを毎日見ていた。
・父親の機嫌次第で殴られ・怒鳴られた
・男だから泣くな・我慢しろと怒鳴られた。
・しっかりしろと言い続けられた。
・「おまえたちの為に我慢をして仕事をしているんだ!」
・「なんで、できないんだ!」
・「兄はできるのに、なんでお前はできないんだ!」
・「誰のお陰で飯が食えると思ってんだ!」
それを母親は止めることがなかった。これも共通している。
それは昭和一桁の親に多い傾向で‥あくまでも傾向です。
怖い体験から、トラウマになり声に出して感情出すことができないことは
心が辛くなって・限界になって・自分を守るために病気になるしかない
んじゃないかな…。とあまりに共通してるから思う。
なんで父親は家で子供罵倒をしなければならなかったのだろうか。
時代背景も共通をしている。これしかない。
誰かのせいにする・理由が見つかると気持ちが楽になれる。
多分社会の仕組みの歪みなのだと私は理解したい・したい!
誰もが犠牲者にしか見えない。“つらい“と言う言葉を家庭で吐けない環境が長く続いた結果、家族の中で誰かが心を病気にして家族に伝えようとしている。
精神を患うと言うこと=家族の中での負のスパイラルを止めるサインなんだと思う。誰かを目に見える形で“社会に通用をしな様に“して気づくように仕向ける。
仕向けても気づかない場合は、どちらかがまた病気になってしまう。
精神を患うと言うことは、気づいて欲しいと言うシグナルであり、
自分を守る・心を守る!人間の素直な症状なんだ。
だから、その人の背景を聞くことが一番の薬になる様にも思う。
そんな理解者が増えると、精神を患う人が在宅で自立をし1人で生きることもできる。精神を患うと言う事は、目に見える障害よりも家族はきつく辛いと言う。“周りに理解をしてもらう“ことが難しいからだ。
精神を患う症状は、話のつじつまが合わない。理解ができない行動が多い。
だから普通は怖くなり避けてしまう。
でも、その人の背景を聞き、相手の言葉を理解しようとすると、話の点と点が繋がりその人の歴史が見える。それを理解した時に相手も喜んでくれる。とにかく、こちらに合わせるのではなく、相手に合わせることが必要だ。
こんな話を聴き知ることが必要。家族が隠しては何も始まらない。
普通は社会保障制度になんとか嵌め込もうとする。本人が社会には当てはまらないなら、薬で合わせる様になっている。
社会を中心に翻弄をされている様にしか見えない。
ゆっくり関わりを持つ事・理解者を増やす事も解決方法の手段にもなると思う。それを理解した人が、伝えていく地道なことも必要なんだ。きっと。
家族だから。
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“家族の介護“〜始まりから終わりまで〜
家族の介護はする人もされる人も初心者です。100家族があったら100通りの介護があり、これが正解はありません。そんな正解のない介護の基本知…
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