親の価値観は子供に受け継がれない、って本当? in Canada
家族ぐるみで仲良くさせてもらっている友達がナイアガラにいる。先週は三泊四日で遊びに行かせてもらった。毎回「来週、行きたいんだけど、いい?」という感じだが「NO!」と言われたことは一度もない。友人家族の大っぴらな性格と、構ってくれないいい加減さが心地良く、うちはそこをコテージのように使用している。
そこの主人はイタリア系移民の娘と二度目の結婚をしてからナイアガラに住んでいる。彼女がそこの出身だからだ。ここで少し彼女の父親の話をしたい。
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イタリアで生まれ育った彼女の父親は高校卒業後、すぐにイタリアから単身カナダへ移民した。名前はロッコという。働いてお金を貯めたロッコは花嫁を探しにイタリアに戻る。イタリアでめでたく結婚し、新生活はカナダでスタートさせた。これだけでも大したものだ!と思う。今の日本の若者には真似できまい。
若い夫婦は一女二男をもうけ、ロッコは工場で働きながらお金をコツコツためた。まとまったお金ができると土地付きの家を買い、売っては買い、を繰り返し、最終的には広い土地を所有し、そこに大きな家を建てた。
土地はとにかく広い。日本の学校(校庭を含む)くらいの大きさだ。サッカーフィールドが何面も作れるであろう。そこに果物の木を植え、畑を作り、家畜を飼い、ロッコは工場で働きながら副業としてそこで自給自足の生活をした。何年も一生懸命に働いてお金を貯めながら。
夏は野菜を作り、長い冬に備えてトマトソース、ワイン、生ハムなどを自分で大量に作る。山羊、鶏、ウサギを飼い、なんでも自分で捌いて料理する。小麦粉さえ買っておけば困ることのない生活だ。
そこまでしてお金を貯めなくても、、、と思うのは間違いだ。ロッコはそのような生活を愛し、人生を謳歌していた。「モンジャ、モンジャ〜」と言って自ら作ったペッパーを畑でカジって見せて、私にも「食べろ」と促す様子は少年のようだった(モンジャとはムシャムシャ食べるという意味っぽい)。
私がその家に遊びに行くようになったのは、ロッコが工場の仕事をリタイアした後だ。リタイア後もロッコはまだまだ元気でトマトソースも、生ハムも、ワインもたくさん作っていたので、私達は無料で泊まらせてもらい、毎回、持ちきれない量のオーガニック野菜、手作りの食料品をいただいていた。
ロッコは娘の結婚を機に、庭に自分たち用の老夫婦の家を建て、その隣には息子(独身、ハンディキャップあり)の家も建て、それまで大家族で住んでいた家を娘夫婦に譲った。
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しかし娘の結婚から1年後、イタリアから嫁ぎ苦楽を共にしたロッコの妻が亡くなった。ロッコは落胆し、徐々に畑仕事も縮小し、トマトソース作りはやめてしまった。生ハムとワインは自分が楽しめる量だけに減り、広い家にひとりで籠ることが多くなった。
さらに数年後、体を動かして元気だったロッコも、歳をとるにつれ体が弱なり、工場でのケミカルが原因で肺の病気になった。そして奥さんがいる天国に召された。
ロッコの亡き後は静かな佇まいでありながら力強く生きるパワーがみなぎっていたこの家は、パワーを失い、ごく普通の家へと変わってゆく。ロッコの生きることへの情熱が吹き込まれていた家も土地も、ロッコと共に死んでしまった。
たくさん植えてあった果物の木は「虫の退治が大変だから」と1本だけ残されたあとは全て切られてしまった。家畜もいなくなりヤギの柵も壊された。畑には芝生が植えられ、畑だったとも想像つかない。
柵は取り払われたが、まだ残っているヤギ小屋
ロッコが闘病中に使うはずで増築された部屋は、ホテルのようにひっそりとしている。その部屋は私達が行った時だけ使われる。ロッコが所有していた老夫婦の家と息子の家は他人に売られ、違うオーナーは庭にコンクリートをひき、大きなガレージを4つも作った。
ロッコが建てた老夫婦の家 ドライブウェイと左側にガレージが見える
全てがあっという間だった。「芝刈りが大変だから」と芝刈りの頻度は下がり、枯れたまま植木鉢が庭に置きっぱなしにされている。飼っていた犬は死に、犬小屋(巨大)もそのままだ。トマトソースを作っていた納屋はジャンクがいっぱいで人が入れるスペースもない。
人がひとりこの世からいなくなっただけで、こうも変わってしまうのか!?と驚いた。悲しく、寂しくなった。
そして今、その家は一億円で売りに出されているが、買う人がいなくて困っている状態だ。
ロッコは娘夫婦に自分と同じ事をして欲しいなどとは思っていないはずだ。でも、私なら全てを引き継ぐことはできなくても、一年に一回のトマトソース作りや、鶏の世話くらいはできたかもしれない。
今は変化が激しい時代なので、人の価値観も大きく変わる。しかもパンデミックで人々は都会に住む必要がなくなり、自給自足を夢みる人も少なくない。ロッコの残したものはそんな生活を夢みる人にはちょうど良かったのだけど、残念ながらコロナの前に、家は既に他人へ譲る準備がされていた。
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どんなに素晴らしいものでも、その精神を受け継ぐ者がいなければ廃れていくという見本だ。価値観の違う者にとっては負の遺産でしかない。
そしてこの移り変わりを10年以上に渡り見守ってきた私は実にさまざまな事を考えるようになった。
クラシック音楽もその価値を認め、守る人達がいるから何百年も続いている。いままで「伝え」「守ってきた」人達の仕事に報いるためにも、今のこのパンテミックで消えてしまうことのないよう、自分よりも若い人達にひとりでも多く伝えたいと、本当に心から願う。
そして今年、私達はトマトソース作りを買って出た。夏の終わりにはたくさんのトマトソースが出来上がる。
頑張ろう!